七月十日は、オレ、樋口啓輔の御生誕日である。
〜間違った誕生日の祝われ方〜 |
「やあ、サイトゥーくんご機嫌麗しゅう、今日も相変わらずいい天気だね」
授業はおろか、朝のHRが始まる前の空いた時間。窓からの陽光を浴びつつ、さわやかかつ澱みなくオレは言った。窓際の席で週間少年誌『跳躍』を斜め読みしているサイトゥーくんがゆっくりと顔を上げ、オレの顔を胡散臭げに見た。なんだこの反応は。
「何か悪いものでも食ったか?」
「別に普通のおにぎりだったぜ! 拳大のが二つという寂しい量だがな!」
育ち盛りの少年に、この朝食は残酷である。だが、貧乏なので朝食なんぞにかけられないのだ。ああ、貧乏が憎い。給料が上がってほしいです。
「そこでそんな不幸なオレにも誕生日というものがやってきたのだよ、今日」
仰々しく手を動かし、言う。サイトゥーくんは少しばかり目を見開き、驚きの表情を浮かべた。
「へえそうなんだ、おめでとう」
予想通りの返答にオレは用意していた必殺の言葉を放った。
「ああ、プレゼントありがとう」
「……っ」
サイトゥーくんは硬直した。
ふふっ、これぞ、秘技・プレゼントを貰う前にお礼攻撃だ。失礼過ぎる技だが、金銭的に切羽詰っているので形振りかまっちゃいられないのだ。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙の中、見詰め合う。オレはあくまでも「わあ、いやあもう嬉しいなありがとう」みたいな笑顔だ。
「……明日、ミスドにでも行こうか」
耐えられなくなったサイトゥーくんは視線をそらし、ポツリと言った。
「ああ、行こう!」
見えないところでガッツポーズ。
判定、勝ち。
一時間目の数学が終了。次は体育だ。一日の始まりの授業が数学なんて酷い話である。朝から頭脳労働とはどういうことであろうか。しかも次は体育。純粋な体力までも奪おうとするその時間割に悪意を感じざるを得ない。これがバイトのある日だったら拷問だ。学校はオレをいじめて楽しいのだろうか。校長先生に詰め寄りたいが、温厚そうなそのお顔に、オレの我侭はしゅんと小さくなってしまう。なので担任のさっちゃんあたりに抗議しよう。たぶんスルーされると思う。
オレはジャージを抱えて教室から脱出した。階段に向かって歩いていると、なんと見知ったその美しいそのお姿が。
「へろー夏子」
「……なにそれ」
アメリキャンに挨拶したつもりだが、あまり面白くなかったようだ。ものすごく怪しいものを見る目でオレを見ている。汚いものを見る目じゃないのでいいだろう。
「ところで、オレ今日誕生日なんだ、いやあプレゼントありがとう!!」
時間がなかったので、口を挟む隙を作らず、必殺技を放った。
「…………」
夏子はきょとんとし、数秒後、見事に表情が消えた。……あ、これはやばい。
本能的に察知した身の危険にオレは身体を硬くした。
「そう、おめでとう」
無表情から一転、はちきれんばかりの笑顔。
その笑顔のまま、夏子はその綺麗なお足でオレの顎を蹴り上げた。
顎に痛みと衝撃を感じつつ、悔やんだ。
……くそう、言う相手を間違えたか!
判定、負け。
二時間目の体育が終了。次は現代文だ。癒しの時間である。現代文担当の教師はまともに黒板に文字を書かないので楽なのだ。しかも出席とったら寝てても何も言われないしね。……ま、この先生、年だし呆けてるんじゃないかって説もあるらしいけどね。そんな教師、進学校なんだし首切れよ……。
のんびりと階段を上っていると、見慣れた男が視界に入った。何故か竹槍を肩に担いでいる。斜めに切った先端部分には風呂敷が引っ掛けてあった。……どこかに旅に出るんだろうか。
こんなふざけた格好をしているのはこの学校ではただ一人、麻生博だけだろう。
「よう」
「おう」
深く考えないで挨拶。
「オレ今日誕生日なんだ、いやあプレゼントありがとう」
相手が相手なので棒読みになってしまった。悪意とかそういうものはないんだが、なんとなく。だって怪しいんだもん。
「そうか、そうだったな」
博は興味なさ気に言うと、竹槍から風呂敷を取り、包みを開けた。そこにはPS2ソフトが何本もあった。十本くらいかな? こいつ、学校に何を持ってきているんだ。
オレの疑問をよそに博は一本のソフトをオレに突き出した。
「ではこの日本が誇るゲームをやりたまえ。もちろん、クリアするまで返却は認めない。まあワンコインで買えるんだが、貧乏な友人を気遣ってレンタルで済ます俺の寛大さに感涙し、敬意を込めて博様と呼ぶがいい。攻略本も貸してもいいが、そんなものがあったってクリア出来る奴はクリア出来る。出来ない奴はそれまでだ。だが出来ないからとって諦めてはいけない。このゲームは前シリーズから見るとシステムも雰囲気もがらりと変わったが、これはそもそもシリーズ物として作られたわけじゃないんだ。それを上からの命令で仕方なくシリーズの名を得たというわけだ。しかしシリーズの名を貰ったからこそ、世間の目に触れたのだ。かく言う俺もその口だ。しかし、だからこそこのゲームへの風当たりもまた強いのだ。いや、批判する気持ちも判るんだ。だいたい――」
博は一方的にこのゲームについて語ってくれた。
当然知識のないオレにはさっぱり理解出来ない内容だった。
「いいか、空ほど美しいものはないんだ」
感慨深く何度も頷くと、博は竹槍を担いで自分の教室へと帰っていった。
「…………」
い、意味が判らん……。
判定待ち。
三時間目の現代文が終了。次は英語だ。良く寝てリフレッシュした頭にはいい授業だ。
一時間もの間同じ体勢で寝ていたもんだから、ちょいと痛い。腕と背中を伸ばしてばきばきと景気の良い音を鳴らして完全に目覚める。ついでに首を回してこきこきと小気味いい音を鳴らす。生きてるって素晴らしい。
「……ちゅーっす」
火曜のネズミの挨拶をしてくるのはカオス。ではなく麻美。その手には何故かカスタネットがあった。
「おっす、どした?」
麻美さんがうちのクラスに来るなんて珍しい。ちょいと身構えてたずねた。
「……現代文の教科書を貸しなさい」
頼みに来ておいて何故この人はこうも偉そうなのでしょうか。
こういうときは反論するよりも効果的な必殺技を放つに限る。
「オレ今日誕生日なんだ、いやあプレゼントありがとう!!」
「……おめでとう」
麻美は少しだけ微笑んで言った。笑顔だけど、目が混沌としているので嬉しくない。
「誕生日なんだ」
それでもめげずにオレは繰り返した。
「……おめでとう」
返事は変わらない。
「プレゼント」
当然の義務を主張する。
「……おめでとう」
でも返事は変わらない。
「オレ、ビンボーだから、こう、恵んでくれると嬉しい」
同情を引いてみる。
「……おめでとう」
でも返事は変わらない。
「…………」
「……おめでとう」
何も言ってないよう。
「……はい、教科書」
耐え切れなくなってオレは現代文の教科書を差し出した。
「……ありがとう」
麻美は小さく頭を下げてから受け取った。
「いや、こっちこそ、ありがとう……」
……夏子とは違う意味で言う相手を間違えたようだ。
判定、負け。
四時間目の英語が終了。次は楽しい昼休みだ!
オレは笑顔で弁当を取り出した。弁当箱をぱかりと開ける。
そこには一面の白、中心には紅! 有無を言わさぬ完全無欠の日の丸弁当があった!!
「うわああああああああああああああ!!」
貧乏という絶望に頭を掻き毟り、天を仰いだ。近くのクラスメイトが何事かとオレを見、そしてオレの弁当を覗き込んだ。後、意味あり気にため息を吐くと、玉子焼きやウインナーのおかずをそっと置いてくれた。
あまりのやさしさにオレは男泣き。
「こんな素晴らしい誕生日は他にないっ! オレは蝶幸せ者だ!!」
その言葉にギャラリーから「おめでとう」という言葉が何度も飛んだ。
言葉は要らない、もっと食べ物ください。
昼食終了後、更なるプレゼントを求めて流離う。
む、ここは三組か。三組といえば一組から数えたら三番目のクラスだ。ちなみに元樹のいるクラスでもある。
よし、乗り込むぞ! いざ行け、無敵の若鷹軍団、いざ行け、炎の若鷹軍団! でもオレは鯉のチームのほうが好きだ!!
「やあ元樹、ハッピーニューイヤー!! オレ今日誕生日なんだ、いやあプレゼントありがとう!!」
多少のアレンジを加え、必殺技を放った。
「死にまた一歩近づいたんだね、おめでとう」
難しそうな本を読みつつ元樹は言った。オレをまったく気にしないその態度が頭にくる。が、言っても無駄な相手なので更なる技を畳み掛けるしかあるまい。
「……なにかください」
見よ、このストレートな攻撃! 惚れ惚れしちゃうね!!
「人の気持ちはどんなものより尊いものだと、僕は思うよ」
やはり本を読みつつ言う。良く見たらこれ日本語の本じゃないよ。アルファベットで文章が構成されている。
「でも、誕生日なんです」
オレはめげない、諦めない! 今ならゲーム差十だってひっくり返せる!!
「物でしか人の気持ちを推し量れないだなんて、かなしいことだと思わないかい?」
一般論、かな……。
オレの勢いを踏み消す冷淡な言葉に、肩を落とした。
「……そーですね」
最後までオレを見なかった元樹に怒りよりも潔さを感じた。いや、ただ単に嫌われてるだけなんだけどね。
判定、負け。
昼休みの後は楽しい楽しい芸術授業。オレは書道だ。ちなみ麻美にはちゃんと教科書を返してもらったよ。お礼にティッシュを貰った。駅前で配ってる消費者金融の広告入りだった。なんとなく悪意を感じる。
しまった、この授業じゃ休み時間に知り合いに突撃できない。時間が足りなすぎる。
仕方ない。放課後に最後の突撃をかまそう。幸い今日はバイトもないしな。
さあ、方針が決定したところでオレは墨をすり始める。書道の授業の最初はこれなのだ。で、書き始めるのが次の時間。
いつもこのまま墨をすって終わりたくなる。
帰りのHRが終われば全学生の自由、放課後だ。しかも今日はバイトがない! 正にフリー。むしろ真のフリー!!
だが、良く考えればバイト先でも必殺技が使えたのだ……。しかもオレより給料貰っている奴が多いから何かをくれる可能性がちょっと高かったりする。
「…………」
なんてこったい。
ちょっと落ち込んだ。
「だが、まだ今日は終わっちゃいないんだ!!」
箒をぎゅっと握り締め、構え叫んだ。
ちなみに今は掃除中である。当番です。班員が何事かとオレを見ている。
「悪霊ッ退ッ散ッ!!」
誤魔化すように、近くにいた学級委員長の戸田光一郎に鋭い突きを放った。
「うわあああ!!」
避けたその向こうが壁で、勢いがあったので、少しへこみました。
いろんな人に、ものすごい怒られました。
ぐじぐじと顔をぬぐう。別に泣いてはいないが、そんな気分だったのだ。
掃除を終えて教室から出れば、人気がだいぶ引いていた。ほとんどの生徒は帰ってしまったようだ。
なんてこったい。
オレの誕生日にこぎつけて何かください作戦はここで終わってしまうのか。
「失礼しました」
落ち込んでいると、六組の目の前にある教官室から誰かが出てきた。二つに分けられた、漆黒の長髪が揺れている。ああ、この黒は知っている。
「風花じゃないか」
「ん、啓輔? 掃除当番だったの?」
とてとてと、風花がオレの元へと歩み寄ってきた。
「うん。必殺の突きが決まったけど怒られたんだ」
「もしかして、さっきの、どーんって音がそれ?」
「否定はしないとも」
出来ないだけである。
「すごいねえ」
「いや、褒めることじゃないですよ」
でも褒められたら嬉しいので笑顔だ。
「そうだけど。でも何でやったの? モップ?」
「もげ、箒だ。モップはちと重心がぶれていけない」
専門家のように言ってみる。
「ところで」
オレは必殺技を放つべく話を切った。
「オレ今日誕生日なんだ」
「そうなの? おめでとう!」
いやあプレゼントありがとう!! の前に言われてしまった。これじゃ必殺技が使えない。
「そうなんだ、そうなんだ」
風花は何故か嬉しそうに微笑んだ。まるで自分ことのように喜んでいる。
「じゃあさ、これから買い物に行こうよ! あ、バイトは大丈夫?」
あれれー? 予想外の展開ですよ?
戸惑い、だがそれを見せないように平静を装って返す。
「うん、今日はオフなんだ」
「ちょうどいいね! いこいこ!」
めちゃくちゃ嬉しそうに風花は言うと、俺の手を引いて早足に歩き出した。いや、これはもうスキップに近い。
「お、おい、ちょっと待て張り切りすぎっ!」
予想外の、でもものすごい好展開に驚きつつ、湧き上がる喜びを噛み締めた。
「だって、嬉しいんだもん」
無邪気な風花の笑顔に、オレも笑顔になる。
「いや、それオレのセリフ」
「そう? ……そう、そうだね!」
少し考えて、やっぱり笑顔。何でそんなに嬉しいのか判らないが、喜んでもらえるのは嬉しい。例えそれがオレを祝うことでも。
「でも、いいじゃない。ね、早く行こう!」
完璧なスキップで風花は廊下を駆け出した。オレはカバンを背負いなおしながらその後ろを追う。
その後、風花と買い物をして、晩御飯を奢ってもらいました。
お嬢様お達しの高級レストラン! なんてことはなく、普通のファミレスでした。オレのバイト先とは違うとこなのがまたいいです。
いや、こんな嬉しい誕生日って、人生初かも。
プレゼント攻撃なんてしなくてもちゃんと祝ってもらえるんだね。
あれ? もしかして普通に「今日、オレ誕生日なんだ」で済ませておけばよかったのか?