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 夢を見ている。
『だからね、あのね、ゆーくん』
 自覚しているからってどうすることも出来ない。
『ゆーくん?』
『うん、ゆーくん!』
 眩しいくらいの、無邪気な笑顔。
『もしかしなくても俺のことか?』
 愛しくて愛しくて、何より守りたいと思った笑顔。
『うん! ゆういちだから、ゆーくん!』
『ふざけんなこら』
 守りたいと、思ったんだ。
『でね、わたしのことは――』
 ――でも、それは、

 思うだけで終わったんだ。




スターハンター 06
〜心にそっと仕舞っておきたいこと〜




 悪夢の余韻を断ち切るために、目を瞑り、何も考えない。
 頭を空っぽにして、すべての情報から目を背ける。
 そうするとどうでもよくなる。
 悪夢はもちろん、自分自身も。
 そして他人も。
 目を開けるとテレビ越しの画面のように現実味が失せた風景があった。
 でもこれは現実。
 ただ俺がそう思えないだけ。
「八連敗くらいで落ち込むようじゃまだまだよね。うちなんて十八連敗やってんのよ!」
 真鍋の声に、ここが学校で自分のクラスだということに気がついた。教室内はシーンと静まり返っている。真鍋の正面にいる佐久間は酷く傷ついた表情をしていた。しかしすぐさま怪訝な表情になる。真鍋は勝ち誇ったように微笑むが、すぐにその表情は悲しみに歪んだ。
 ……なんなんだろう?
「……なにその不幸自慢」
 外野の西野が冷たい目で真鍋を見て言った。とたん真鍋は胸を押さえ自分の席についた。そしてそのまま机に身を投げ出した。肩が細かく震えている。たぶん泣いているんだろう。しかも自分の発言に傷ついて。……予想はしていたが、こいつ馬鹿だ。
「美紗緒ちゃんって……」
 自分の席で、何とも言えない表情で真鍋を見る笠木。
 ――大丈夫、何ともない。
 その傍らにはかっくんかっくんと船を漕ぐ高野がいる。座っているんだからそのまま突っ伏して寝ればいいのに、何故か高野は笠木に寄りかかっていた。……人肌求めている犬猫か。
「……羨ましい」
 机に突っ伏し、その様子を見ていた太一は低い声で呻いた。
「同盟規約に独占禁止の項目を追加するよう、会長に進言しよう」
 恨めしそうな声でぶつぶつ言う太一は、格好も相成ってかなり気持ち悪い。
「同盟って何だよ?」
 好奇心から尋ねたが、たぶん馬鹿馬鹿しいことだろうと予想をつけておく。
「もちろん、ラブ・笠木同盟に決まってるじゃないか」
 眩暈がした。でも太一のことを考えると納得は……出来ない。今公表するのもなんだが、太一の片思いの相手は笠木だ。どこが好きなんだ? と以前聞いたところ「全部」と身をくねらせて答えやがった。でもその後言った。
「すごく、すごくね、優しいところだよ」
 そのときの太一の表情はとても穏やかだった。
 まあ、それはいいんだ。
「そんな同盟作って、入って、お前にとってデメリットしかないんじゃないか?」
「普通はそうなんだけど、まあ色々事情があるんだ」
「フラれたのか」
「違うよう!!」
 太一は立ち上がり全力で否定する。が、その姿があまりに必死なもんだから肯定しているようにも見えた。
「祐一にはおいおい説明するよ」
 すぐに冷静になり、座る太一。
「いや、別にいい」
 そんなどうしても知りたい! ということでもない。コメントを求められたら困るし、何よりプライベートなことに深入りするのが嫌だった。
「聞いてくれよ!」
 また立ち上がって力強く言う。何故だ!
「なら素直にそう言えよ!」
 訳が判らん。
「ちなみにラブ・笠木同盟の会長・創設者は真鍋だ」
 また座り、どうでもいいことを教えてくれる。
「聞いてもいないし、ちなんでもいないだろ」
「副会長は僕。高野はヒラ」
「だから聞いてないって」
「今日は随分とつっこみが鋭いね。何かあった?」
 ここになってようやく太一は正気に戻った。そうだろうか? と首をかしげていると太一は肩を竦めた。
「うん、僕は今の祐一のほうがいい。ボケがいがある。いや、ボケてないんだけどね。で、ラブ・笠木同盟の会員は現在三名だ」
「だから聞いてないって! そんなどうでもいい情報寄越すな!」
「募集していないわけじゃないが……まあ、祐一なら僕の推薦があれば簡単に――」
「誰が入るか!!」
 話を終わらせるように大声で太一の声をさえ遮った。はっとして周りを見れば視線が集まっていた。普段大声を出さない俺だ。珍しいんだろう。
 その視線を朝のHRが始まるまで黙殺しようと思ったが、太一は勧誘(?)をやめないので、訳の判らない言葉攻撃に対応することになってしまった。延々と太一につっこむ俺は……確かに珍しいかもしれない。結構騒いでいたのに、高野はずっと船を漕いでいた。


 キーンコーンカーンコーン……

 昼休みを告げるチャイムが鳴る。もちろん普通のチャイムと何ら変わりないが。
「舞衣ー、ご飯食べよう」
 西野が弁当箱を持って高野の下へと行く。俺も弁当を取り出し、包みを解く。
「あー、芳岡待って!」
 蓋を開けようとしたその瞬間、何故か高野に止められた。
「宮元くんも、あとのんのんも! ってか集合!!」
 何故か集められた。このメンバーは部活か?
「皐月、ごめん。さっき三上先生に部活のことで呼ばれたの」
「あ、部活作ったんだっけ? ふーん? へぇえ……」
 何か深い意味がありそうな言い方だった。
「洋子ねえが、顧問、ねえ……」
 西野のなんというか「うわあ」みたいな言い方に嫌なものを感じた。
「ん? ちょっと待って。そしたらあたし美紗緒あたりとご飯を食べることになるの?」
「それは皐月ちゃんの自由だと思う」
 笠木がこっそりつっこむが西野はあまり聞いていない。
「それと関係ないけどさ、皐月も佐久間くんもどうして美紗緒ちゃんの暴走を止めるの? ありがたいけどね」
 高野の疑問。最後に出た感謝の言葉が妙に疲れていた。被害者の声って奴ですね。
「ほっといたらもっと大変なことになるからに決まっているでしょう」
 淡々と言う西野に言葉に出来ない苦労が見えた。
「そう……」
 察したんだろう、高野はそれ以上聞かなかった。
「じゃ、あたしたち行くね」
「うん、洋子ねえによろしく」
「ん」
 ねえってもしかして姉という意味だろうか? 知り合いかと思っていたが、もっと近しい関係なのか?
「ほら、祐一、行くぞ。弁当持てって」
 疑問に首をかしげていると太一に急かされた。まあ、今度本人に聞いてみようか。


「お花見みたいね」
 保健室の、三上先生が愛用……使用しているデスクに、色とりどりの弁当箱が並べられていた。
 一つは俺の、白米と冷凍食品がメインの弁当。
 二つ目は太一の、俺と似たような弁当。ただしこちらは水筒(麦茶)付きだ。
 三つ目は笠木の、見た目と同じく小さく可愛らしい弁当。中身は普通だが、全部手作りと判るもの。
 そして四つ目。最後の弁当であり、高野の弁当でもある。
「お前、何で学校に重箱なんぞ持ってきてるんだ?」
 高野の弁当箱は重箱だった。ただし二段。四段だったらどこぞのお嬢様かって話になる。いや、それ以前に誰がそんなに食うんだって話だ。
「三上先生が、お昼ご飯作ったり買ったりするの面倒って言うから、作ってきちゃった」
 語尾にハートマークがついてそうな口調で高野は幸せそうに言った。
「悪いわね」
「いーんですう、先生のお役に立てれるならそれで! 口に合えばいいんですけど……」
「それは問題ね、じゃあ頂きましょう」
「いただきまーす♪」
 デスクの周りにイス(二つだった丸イスは四つに増えていた)を並べ、窮屈に座りながら食事が始まった。
 いや、色々問題があるような気がするんだが……。そもそも教師が生徒に弁当作らすなよ……。
 そうつっこもうと思ったが、隣の太一が深いため息をついたのが判った。太一も何かを諦めたようだった。自分の弁当の蓋を開けている。
「……いただきます」
 釈然としないが、俺もそれに倣う。
「これ二人じゃ多いからみんなで食べてよ。と、いうかみんなのつまめるようにしようよ」
 高野がそういうと真っ先の笠木が自分の弁当箱を差し出した。三上先生は立ち上がり、戸棚から皿を五枚、コップを五個取り出した。……なにこのピクニック。
「いいけど、僕の冷食ばっかだよ?」
「俺のもそうだ」
 笠木が皿を配り、高野がコップにお茶(太一の麦茶である)を注ぐ。三上先生が高野の重箱を開ける。
「いいじゃない。舞衣がそう言ってるんだから。気にしないわ」
 そう言って三上先生は率先して自分の分を取った。もちろん、重箱からだ。
「……本人が、いいって言ってるし」
 小さくつぶやき、重箱を覗いた。
 一段目はおかずだ。から揚げにポテトサラダに小松菜かほうれん草のおひたし。これは他に味が行かないように違う小さなタッパに入っていた。同じくタッパに肉じゃが。
 二段目はおにぎり。中身は見た目じゃ判らない。
「えっとね、海苔がついてるのが梅干で、何もないのがしゃけ、黒ごまがおかか、白ごまがツナマヨ」
 俺の視線に気づいた高野が説明してくれた。
「これ、朝全部一人で作ったのか?」
「まさか」
 高野は小さく首を横に振った。制服のポケットからククを取り出し、デスクの上に乗っける。このメンバーならば顔を出しても平気だな。
「シャバの空気はうまいッス」
 無視する。
「夜からだよ。ポテトサラダは作って、肉じゃがとから揚げは昨日の晩御飯の残り」
 眩暈がした。
「お前、一人暮らしだっけ?」
「ククはいるけど……うん」
「僕も人間扱いしてくれて、いっこーに構わないっスよ!」
 無視する。
「てことは一人で作ったことになるよな?」
「当たり前じゃん」
 なに言ってるの? そんな顔で見るな。
「おいしいわ」
「ホントですか!?」
 三上先生のたった一言で高野の関心はあっさりと移ってしまった。
「ふふん、舞衣さんは料理のスペシャリストッス。このくらいは朝飯前ッス」
「夜から作ったって今言ったじゃん」
 太一の正確なつっこみにククは一瞬言葉に詰まった。
「朝食前には変わりないッス!!」
 確かにそうだが……。
 ククの言葉にいちいち反応するのも馬鹿らしいので、俺も重箱に手をつけた。
「まいまい、やっぱり料理上手だよね。おいしい」
「へへ、ありがと」
 微笑ましいを超えている女子二人を無視して肉じゃがを一口。重箱のすぐそばで何故かククが照れていた。誰もお前を褒めてねーぞ。
「あ、美味い」
 言葉が自然に出た。冷えているが、しっかり味が染み渡っている。味も濃くなく薄くなく。
「ありがとう。じゃ、芳岡のもらうねー」
 無邪気に微笑む高野は俺の弁当のおかずを箸で取った。
「あ」
 明らかに気合の入った手作り作品と冷凍食品を交換するのは悪い気がする。
「玉子焼き♪」
 高野は言葉通り、玉子焼きを取った。俺の母親の作品だが、肉じゃがと釣り合うだろうか? ……いや釣り合わないだろう。なんとなく申し訳なくなった。
「おいしい」
 でも高野は嬉しそうに微笑んだ。
「って、それ普通の玉子焼きだぞ?」
 思わず言ってしまった。
「んー、今色んなおうちの玉子焼きの味を調べてるの。甘いのとしょっぱいので五分五分なの。あ、宮元くんのもちょーだい」
 ……変なことを調べる奴だ。
「いいよー、どんと食べて。じゃおにぎりもらうね」
「トレード♪ トレード♪」
 楽しそうに太一の弁当から玉子焼きを取る高野。手元の小皿を見れば高野自身が作ったものはなく、俺たちの弁当のものばかりだった。
「ククちゃん、めっ!」
 重箱に侵入しようとしたククを笠木が摘み上げた。……衛生的にハムスターが弁当箱にいるのはとても嫌だ。
「先生、小皿ください」
 顎で食器棚をさす先生。すっげえ態度悪いです……。が、高野は気にせず立ち上がり取りに行った。
「お前、ちっとは考えろ」
「舞衣さんの手料理を、自分を解き放ってすらいない祐一さんに食べられるなんて、こんな屈辱はないッス!」
 意味が判らなかった。
「はいはい、いーから気にしないで。どんと食べて。そのハンバーグちょーだい」
「ああ、これ冷食だけどいいのか?」
「それ、手作りだよ?」
「へ?」
 自分の弁当を覗き込み、ハンバーグを箸で摘み上げた。よく見ると冷食にしては不恰好、と言ったら失礼だが、なんとなくコゲが多い気がする。
「昨日の晩御飯、ハンバーグだったんじゃない?」
 高野の指摘に記憶を手繰る。……そういえばそうだったような気がする。
「ちゃんと作ってもらってるんだから感謝しないと駄目だよ」
 不意に思い出す。

『あたし、親いないから』

 高野は感謝出来る親がいない。
 そう考えると、気恥ずかしくなって、申し訳なくなる。
 それを周囲に気取られないように俺はいつもどおりに淡々と食事を進めた。


 放課後、部活中。
 昼の食事会は別に、青大将同好会の活動でもなんでもなく、ただの食事会だった。高野によると、ククがたまに顔を出して昼食を取りたいとわがままを言ったそうだ。せっかくだからと叶えたらしい。なにがせっかくなんだろう。
「今日は化け物いないねー」
 笠木は周りを見回し言う。
「いないほうがいいッス」
 その笠木の肩でククは腕を組み頷いている。
「そりゃそうだけど……」
 ちょっと不満そうに笠木は口を尖らせた。気持ちは判らなくもない。ただ、巨大化したミミズやワラジムシ(共に尋常じゃないほど気持ち悪い)だけじゃつまらないだろう。
「僕はその、あれだ、笠木と一緒にいられるだけで、その……、あははは!!」
 ゴーグルをつけた太一が自分の言葉に照れて身悶えている。気持ち悪かった。しかもゴーグルつきなのでかなりの不審人物だ。胡散臭さ極まりない。しかし笠木は笑顔で、でも判ってない顔で首をかしげている。高野はなんとなく察したのか、少しばかり哀れな顔をして太一を見ていた。
「あ、そーだ、アドレス交換してくれ」
 俺は高野の肩を叩き言った。
「なぜゆえッスか!?」
 眉間にしわを寄せ、詰め寄ったのは何故かネズミだった。
「いいけど?」
 なんで? という顔をして頷く高野に俺は適当な表情を浮かべ言う。
「いないところで星を見かけたらすぐに連絡できるだろ?」
「ああ、そうだね。じゃ、僕とも交換!」
「あれ? 宮元くんの登録してなかったっけ?」
「してないしてない」
「あれ、会合のときにやらなかったけー?」
 会合って胡散臭い……。もしかしなくても笠木をなんとかの会だろう。
「あんときは基本事項を確認して終わったじゃないか。そんで高野が急ぎの用あるって帰っちゃって。僕と真鍋は交換したんだけど」
「あー、そうだったねー」
「ねえねえ、会合ってなあに?」
 二人の会話に笠木が割って入った。当然の疑問だが、俺は見当というか、確信しているので聞く気になれない。
「…………」
「…………」
 二人は同時に黙り、止まった。そりゃあ本人に言えることじゃない。
「で、アドレス交換はしないのか?」
 どんな言い訳をするか少し興味がある。が、さっさと欲しかったので促した。
「する」
「しよう」
 二人が頷くと笠木も含めて林の中でアドレス交換を始めた。……シュールな光景だろうな。
 程なくしてそれは終わる。
「で、星反応はどうだ?」
 高野とククを見ると、二人は顔を見合わせ少し困った顔をした。
「どしたの?」
 笠木がいち早く尋ねる。同じことを思った俺は反射的に笠木を見るが、急に居たたまれなくなって目をそらした。
「え、どしたのゆーくん。希望、なんか変なこと言った?」
 それに笠木が気づいて俺を見上げる。きょとんとした顔。邪気が全く感じられない表情。
 胸の奥が、締め付けられる。
「祐一?」
 俺の異変に太一も気づき、視線を受ける。が、俺はどうしたらいいか判らない。なので二人の視線から逃げるようにうつむいた。
「反応が散らばっている」
 微妙な空気を無視して高野は言った。
「あっちとこっち」
 高野とククがそれぞれ別方向を指差した。俺たち三人は無言で少し戸惑いつつ一人と一匹の指差すほうを見た。
「でね、反応からしてたぶん小物だから、二手に分かれよう。ククとのんのんと宮本くん。芳岡はあたしと。
 で、見つけたらあたしに連絡して。電話がいいかな。
 てことで、よろしく!」
 高野は早口でまくし立てると、俺の手を掴んで自分がさしたほうへと歩き出した。
「え? え? え?」
 訳が判らず引きずられるように連れて行かれる俺。
「さー、ボクたちも行くッスよ!!」
 ククの号令(?)に戸惑いながら太一と笠木は頷いた。ちらりと笠木を見ると目が合った。戸惑っている。
 俺はすぐに目をそらした。


「ふう」
 太一たちが見えなくなって高野は俺の手首から手を離した。
「何のつもりだよ?」
「芳岡が困ってたから助けたつもり」
 ストレートな物言いに言葉が詰まった。
「迷惑だった?」
「……いや、ありがとう」
 冷静になってよく考えれば、先ほどの高野の提案はおかしい。関わることすら嫌がってるんだ。それなのにわざわざ引き離してくれた。ありがたいが、何でだろう?
「何でかって?」
 顔に出ていたんだろう、俺はすぐに頷いた。
「誰にだって、触れられたくないことの一つや二つあるじゃない」
 小さく微笑む。
「……どうしてそれが判る?」
 昨日に引き続き、高野は俺の何かを判っているような口をきく。
「んー……」
 少し悩み、高野は俺に背を向けた。というか、歩き出した。逃げ出すのかと思ったが、単に星に向かい始めただけだろう。まあいい、歩きながら会話は出来る。
「まあ、いいか。
 小さいころだけどね、あたしもお母さんが死んだときに芳岡みたいに無気力になったことあるんだ」
 鋭く息を呑んだ。立ち止まりかけたが、悟られたくなくてそのまま歩く。
「さっきの芳岡ね、そのときのあたしの表情に似てた。だから」
 いつもどおりの口調で高野は言った。でも、俺は何も言えない。言えるわけがない。
「…………」
「…………」
 無言で歩く。草木を掻き分ける音だけが俺たちを支配する。
 何か言いたい。
 けど、何を言ったらいいのか判らない。
 なら言わなくていいのかもしれない。
「悲しくて辛くて苦しくて、全身から力が抜けて、立っていられなくてさ。でも、生きるためには立ち上がらなくちゃいけなくて。
 まーあたしは無理矢理立ち上がらされたんだけどね」
 小さく笑う。
「だからさ、芳岡はちゃんと歩いててすごいなーって。今は周りを見れないかもしれないけど、それでもすごいなーって」
「遠まわしに立ち直ってないって言ってないか?」
 少しの悪意をこめて冗談めかして言ってみる。
「そうかも」
 否定して欲しかった。がっくりとうなだれる。
「でもね」
 高野は立ち止まり俺を正面から見据えた。
「自分の意思で立ったってのはすごいと思うの」
 立ち止まり、高野を見据えた。
 冗談を言っている目ではなかった。
 本気で言ってくれていた。
「ありがとう」
 口が勝手にそう動いていた。


 それから他愛のない話をしながら歩いた。
 自分たちのプライベートの話じゃなくて、ドラマやマンガのこと。ついでにうちのクラスのことも。
「西野って三上先生と知り合いなのか?」
「そうだよ。皐月のお姉さんが三上先生の幼馴染なんだって。で、美紗緒ちゃんのお兄さんもそうなの」
「へー」
「で、皐月とお姉さんめっちゃそっくりなの」
「ほう?」
「歳離れてるから区別つくけどさ、もうすごい似てる。皐月も十年くらいしたらあんなんなるんだーって感じ」
「それはよく判らんな」
「見れば判るよ」
「そりゃそうだろう」
「んで、逆に美紗緒ちゃんとこはぜんぜん似てない」
「まず性別が違うだろうに」
「それもあるけど、何から何まで似てない。性格もぜんぜん違う。お兄さん無口だもん」
「妹があんなんだからしゃべんないだけじゃないのか?」
「それはあるかも」
 楽しい。その場つなぎのだらだとしたものだけど、それが楽しい。
「お前はきょうだいいるの?」
 高野の事情を考えたらあまりいい質問ではないが、この流れで出るなら不自然ではないだろう。
「いないよー。だから皐月も美紗緒ちゃんも羨ましい。芳岡は?」
「俺も一人っ子だな」
「じゃあ大事な一人息子だ」
「なんだその、大事ってのは」
 ぞんざいに扱われてはいないが、手厚く大事に育てられた覚えはないぞ。
「大事な一人息子は結婚したら、お嫁さんに息子を取られたー! ってお母さんが発狂するんだって。そんでお嫁さんをいびるの」
「なんだその昼ドラみたいな話は」
 生臭いというか、所帯臭いというか、どろどろしてるなあ……。
「弥生さん、皐月のお姉さんね――から聞いた話」
「うーん」
「続きがあって、旦那さんがまともな場合はお母さんからお嫁さんを引き離してめでたしめでたしで。まともじゃない場合は一緒になっていびるの」
「何で結婚したんだよ?」
「そうだよね、で、大体そういうのって恋愛結婚なんだってさ。だから余計に酷い話。そんで、お嫁さんがキレて離婚問題に発展するわけよ」
「まあ、そうなるわな普通」
「で、旦那さんがすごい見苦しい言い訳をするんだけど、お嫁さんのほうはもうすでに冷え切って、離婚届に判を押せーって態度なんだって」
「恐ろしい話だ」
「うん、そうだねえ。だから皐月は結婚に失望してるのよ」
「そりゃあするだろうな」
 絶望といっても差し障りはなさそうな話だ。
「だからね、大事な一人息子と結婚を考えているなら用心しなさいって話」
「それを俺に言ってどうする」
「それもそうねえ」
 特に考えて話していたわけではないらしい。
「あ、いる」
 高野は俺から視線を外して正面を向いた。
「雑魚? それ以下?」
 雑魚というのは襲ってくる力はあるが、弱い星。文字通りの雑魚。それ以下はただ巨大化している奴だ。
「それ以下」
 言うのと同時に槍を作り出し、穂先を地面に向けた。
「見る?」
 うん、と頷き高野の下へと駆け寄った。
 そこには巨大化(両手を開いたくらい)したネズミがいた。ハムスターではなく、本当のネズミ。ドブネズミってやつなんだろうか。力が弱いのか、ほとんど動いていない。
「気持ち悪い」
「うん」
 高野はネズミに槍を突き刺した。いつもどおりに深緑色の光の粒子が虚空に溶けていく。
「今日はこれで三つ目か。大量?」
「そこそこ。じゃ、のんのんたちはどうかな」
「引き離してくれて言うのもなんだけどさ、お前がいなくて大丈夫なのか?」
「ククがいるもん。だいじょぶ」
 ケータイをいじりつつ言う。引き離した本人が言うんだから大丈夫なんだろうが……あのネズミだぞ? 変態ハムスターだぞ? いいのか?
「のんのん、そっちどう? へ? 四つも見っけた? へーじゃあそっちに行くね。あ、そこにいて。なんとなく判るから。うん、うん、あーそれね、あとで言うよ。のんのんのせいじゃないし。じゃ、今から行くね。
 てことで合流します」
 高野がケータイを仕舞いつつこちらを見る。俺は黙って頷く。
「へーき?」
 また頷く。気遣いが嬉しい。
「じゃ、合流しましょう」


 また二人並んで林を歩く。先ほどと同じようにどうでもいいけど楽しい会話をしながら。
「ククってさ、人と同じ飯食ってるけどいいの?」
 昼休みのことを思い出し訊ねる。
「いいみたい。けどさあ、あんな外見してラーメンどんぶりくらいの量を食べるんだよ? 信じられる?」
 ククの姿を思い出す。全長十センチほどのジャンガリアンハムスターとなんら変わりない外見。
「それって、一日トータル?」
「残念、一回の食事量」
「なぜ太らないんだ」
「あたしが聞きたい」
 魔法生物とは不可解な生き物のようだ。
「まー、一人分作るよりいいけどね」
「食費が余計にかかるだろ?」
「んでも、二人分のほうが作りやすいし」
 主婦だ。主婦がここにいる。けどこれは言わないでおこう。
 しかしラーメンどんぶりくらいか……。
「本当にそんなに食うの?」
「食べるわよ――って信じたんじゃないの?」
「いや、非科学的だなーって」
「科学?」
「物理的?」
「光の速さとか?」
「そっちかい!」
 なんだこのぼけぼけトークは。もしかして高野って天然なのか? そりゃこちらの世界に来てそんなに経ってないから世間知らずなところはあるだろうが……。天然は笠木だけで充分だろうに。
「あ、まいまーい、ゆーくーん!!」
 もう一人の天然が、木々の向こうで手を振っている。先ほどまで感じていた痛みはかなり軽減されている。……気分転換出来たおかげなんだろうか。何にせよ高野には感謝だ。ちらちと視線を送ると高野はこちらを見て小さく微笑んだ。お見通し、ってことだろうか?
 俺たちは二人と一匹に駆け寄った。
「舞衣さーん!! やったッスよー! このボクがやったッスよー!!」
 笠木の肩に乗っているククが大声を張り上げている。
「いや、来たときにはもう星が転がってたじゃん……」
 ゴーグルをつけたままの太一は地面を――たぶん星だろう――を見ながら小声でつっこんでいる。ククはそんな弱いつっこみじゃ見向きもしないぞ! そんなエールを送ろうかと思ったが、無意味だろう。
「四つも見つけたって?」
「うん、あちこちにあったのを拾ってきたよ」
「なんとなく持ってたくなかったからまとめておいてあるけど」
「確かに怖いよね。二人ともありがと」
 太一が指差すほうへ高野は視線を向ける。俺も見る。そこには言ったとおり、四つの星が転がっていた。それらは綺麗な深緑色して、ほのかに光を放っていた。あれ? 星っていつも真っ黒じゃなかったっけ?
 その疑問を口にする前に笠木が俺の前に立った。
「ねーねー、ゆーくんってきょうだいいる?」
 いきなりまた高野と同じ質問をしてくるんだ。
「いや、一人っ子だけど……。まさかお前西野の姉貴の話をするんじゃないだろうな?」
「え、何で判ったの?」
 一緒に聞いたのか。
「高野は?」
 太一が何気なく聞く。
「ん、え?」
 高野は星を拾い、何かを確かめるようにじーっと見ていた。だから太一の声に驚いていた。
「きょうだい。いるの?」
「え」
 俺と同じ質問に、高野は少し動揺した。視線が素早くさまよい笠木で止まり、硬直する。
「いないよ。あたし、一人っ子」
 でもそれはすぐに解けていつもどおりの口調で言った。今の、なんだろう……?
「なあ、星ってさ、真っ黒じゃないのか?」
「へ?」
 間抜けな声をあげるのは高野だ。世間話から仕事の話に変わったのについていけなかったのだろうか。
「ああ、力がなくなったら真っ黒になるんスよ」
 俺の質問に答えたのはクク。まだ笠木の肩に乗っている。
「じゃあ、あの星はまだ力が残ってるんだ」
 高野の手にある四つの星。どれもが深緑の光を放っている。暗いところで見たらもっと綺麗だろう。
「危なくない?」
 恐怖と好奇心が入り混じった表情で笠木は星をつつく。
「あたしは大丈夫だけど……」
 一番詳しい高野は首をかしげる。仕方ない、高野の上司も判っていないのだからこんな反応になるだろう。
「じゃあ、今日はこのくらいにしよう」
「うん、今日は全部でえっと?」
「七つ。大量ね」
 ごそごそと高野は先ほど回収した星を取り出そうとした。でも四つも持っているんだから、落としそうになって――
「あ!」
 実際三つ落とした。
 反射的に伸ばした俺の両手がそれぞれ一個を取った。残りの一つはあっけなく地面に落ちた。
「あーもう」
 右手に黒い星、左手に深緑の星を持って高野はため息をついた。すぐに制服のポケットに突っ込む。そんな管理でいいのか?
 落ちた一つに高野は手を伸ばした。渡すのは拾ってからでいいだろう。そう思って高野と同じくポケットに星を突っ込んでおいた。
「え?」
 短い声。
「ちょっと?」
 不吉なものを感じる……。
「下がってくださいッス!!」
 突然ククが叫んだ。
「え?」
「ん?」
 状況が理解出来ない。が、条件反射のように俺は太一と笠木の手首を掴んで落ちた星から離れた。
 その数秒後、後方より強い光が発せられた!
「どういうこと!?」
「なになになに?」
 二人の疑問に俺が答えられるわけがない。
 光はすぐ収まる。幸い俺は背を向けていたのですぐに周りが良く見えた。
 すでに高野は距離を置いている。星を落としたところには黒いバスケットボールくらいの球体が浮かんでいた。
「ゆーくん、あれなに!?」
 混乱した笠木が俺の腕に爪を立てる。痛いし、俺に聞くな!
「星の力を取り込んだんッス!!」
 ククが叫ぶ。
「つまり、化け物が生まれる瞬間」
 太一が喉を鳴らした。その言葉を肯定するように、黒の球体は形をでたらめに乱し、錆びた金属を擦り合わせたような音を立て、形を作る。
 生まれた化け物は、最初に見た犬と同じものだった。ただし大きさは前のに比べたら随分と小さい。普通の中型犬くらいの大きさだ。
「…………」
 化け物は状況を理解していないのか、きょろきょろとあたりを見回し、身構えている高野を見た。
 とたん化け物の毛が逆立ち、張り詰めた空気が辺りを支配した。俗に言う、殺気って奴だろう。二人とついでに一匹を庇うように俺は前に出る。もちろん、高野の迷惑がかからないように。
 だが、そんな心配は杞憂のようだ。
 化け物が殺気を放ったとのほぼ同時、高野は右腕を振るい、槍を作り出した。その動きを殺さぬまま、槍を手元に引き、素早く突き刺す。

 ――突き刺す。

「ふえええええええ!?」
 後ろの笠木が悲鳴(? にしてはユカイだ)を上げた。
 突き刺し、化け物に届く直前、槍が突然暴走した。いや、この言葉が正しいのか判らないが……とにかく槍がおかしくなった。
 槍は形を変えつつ化け物を突き刺した。
 高野の槍は使いやすさを重視しているのか、長い棒に刃物がついたシンプルなデザイン(でも美しさを感じる)だ。
 それが穂先の数が増えさらに巨大化、握る部分は血管みたいな管がいくつも浮かび、脈打つように動いていた。色も化け物と同じような油を被った黒。極めつけは、植物の根のような……触手? だろうか、がギチギチと音を立て、気持ち悪く痙攣している。それは何本もあって、いち早く動こうとした化け物を狂ったように突き刺し、締め上げていた。
 気持ち悪いというより、大げさかもしれないが地獄絵だ……。
「なに、これ……」
 製作者である高野が顔色を失っていた。触手に巻かれ貫かれている化け物はびくんびくんと痙攣し、徐々に小さくなっていく。まるで存在そのものを触手に吸収されているみたいだ。
「クク、どうにかならないか?」
 振り向かず、訊ねる。動いたらターゲットにされそうだからだ。
「ボクに言われても困るッス」
 心底困った声で言われたら強く言えない。
「たぶん、星の力が暴走してるッス」
「なんで?」
 質問は笠木に任せ、俺は変貌した槍=化け物を見張ろう。もう犬の化け物は消えていた。本当に吸収されたのかもしれない。……しかし気持ち悪いな。
「うーん……舞衣さんの力と星の力が変な風に融合しちゃった、んじゃないッスかね」
 自信なさ気にいう。
「それが確かなら、あれは一応高野の力も残ってるってことだよね?」
 意外に冷静な太一が口を開いた。ゴーグルつけてるし、三上先生の意見かもしれない。いや、これは邪推か。
「そうッスね。でもあくまでも予想ッス」
 思いのほかククは慎重だ。危険が迫っている以上慎重にならざるを得ないのは判るが。
「どっちにしろ、高野がなんとかしなくちゃいけないんだろ?」
 俺の言葉に二人と一匹は黙った。化け物から高野に視線を移す。少し動揺が見られるが、戦意喪失という状態ではない。立ち上がり、化け物の様子を伺っている。でもまた変貌するのが怖いのか、武器を作り出すそぶりはない。
「たぶん、何とかなるから、何もしないでよ?」
 強い目と口調で言われた。今にも飛び出そうな格好だったんだろうか、俺。
「ほら、祐一も下がった下がった」
「お、おう」
 太一に促されて大人しく下がった。
「半分は、まいまいのなんだよね?」
 笠木は確認するようにククに言うが、確かなことが判ってない以上、ククは何も言えなかった。
 星の力がよく判っていない。この危険性が浮き彫りになった事態だ。高野の魔力に反応したってことは、他の魔力に反応してもおかしくないってことだ。あちらでも対応策を練らなくてはならないだろう。
 けど、それを報告するのはこの化け物をどうにかしてからだ。
 高野は化け物を見据え、ふーと息を吐いた。そして何の躊躇いもなく化け物に向かって歩き出した。
「!?」
「舞衣さんには舞衣さんの考えがあるッス!!」
 飛び出そうとした俺たちを止めたのはパートナーであるククだった。パートナーとして申し分ない言葉だが、動揺して震えているのはどうなんだ。
 そうこうしているうちに高野は化け物に手を伸ばせば届く距離にいた。
 声が出そうになったが、こらえる。化け物が高野に攻撃したらどうしようもない。あれ? でも化け物は何もしてこない。ただそこにいるだけだ。
「ごめんね」
 ?
 高野が手を伸ばし、化け物に触れると、何事もなかったかのように化け物は風となって消えた。その風に巻き上げられたのか、黒くなった星が空へを舞い上がった。
 今までの出来事が何かの冗談だったみたいなあっけなさだった。
「?????」
 太一と笠木も金魚みたいに口をパクパクさせていた。今までの緊張はなんだったんだよ!!
 何も言えない俺たちを放っておいて高野は右手を差し出し、星をキャッチした。
「ぁsんdるいあsんjk!?」
 緊張の糸が切れた太一が宇宙語を叫んだ。気持ちは判るが、せめて人間に理解できる言語を使って欲しい。
「あたしの力と、星の力が直接ぶつかっちゃって暴走したってとこかな」
「そうッスね」
 俺たちが言う前にさっさと結論を出してしまった。文句を言いたくとも知識がないので何も言えない。
「ごめんね」
 化け物に言った言葉を俺たちにも向けた。
「こんなことになるとは思わなかった」
 頭を下げる高野に先ほどと違う意味で何も言えない。
『とりあえず、今は帰ってきなさい』
 突然の、全く予想していなかった声がして飛び上がるほど驚いた。それは俺だけではなく、太一も笠木も。笠木なんて驚きすぎて太一にしがみついていた。それに気づかない太一はちょいとかわいそうだった。
「そうね」
 軽く高野は同意すると、そのまま俺たちに背を向け歩いていってしまった。


 その後、学校(というよりも保健室)に帰り報告。でっちあげの日誌を書こうとしたところで三上先生に「誰も見ないんだから今日は書かなくて良い」と言われ追い出された。……何のために書かせているんだ。
 追い出されたのは俺と笠木と太一。
 どうも二人と一匹で話し合うらしい。
 無言で太一と笠木に交互に視線を送ってみると、太一は首をかしげ不満顔。三上先生の行動に不信感を抱いたんだろう。今更って話だ。
 笠木は……右手人差し指で顎を軽く叩き、天井を見ている。どうみても考え事をしている。
 廊下で三人突っ立っていても仕方ないので、今日はこれで解散した。

 明日、高野に詰め寄ろう。



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