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 眠い。
 完全な寝不足だ。
 何故眠れなかったのか? それは昼間に見た夢が気になったからだ。
 また見れるんじゃないかと楽しみにしていたらどんどん眠気が遠ざかり、目が冴えてしまった。
 仕方なしに羊を数えてみるが、やはり昼間の夢が気になって、時折高野の小指の温もりを思い出して眠気はなかなか訪れなかった。小指の温もりが完全に眠気を退かせてしまった。
 そしてそのままの状態でしばらく過ごし、気がつけばカーテンの隙間から光がこぼれていた。
 仕方ない、もう諦めて起きてしまおう、と思ったとたん眠気がやってきた。あんまりだと思った。しかし数分前まで待ち焦がれた強烈な眠気には勝てず、目を閉じた。その後の記憶がない。
 気がつけば目覚ましが鳴り、階下から母親の大声が聞こえた。
 あんまりである。

 しかし今日はコンタクトは無理だ。入れたら痛くなりそうだ。久しぶりに眼鏡か。こちらの学校に眼鏡で行くのは初めてかもしれないな。どうでもいいことだが。




スターハンター 08
〜眼鏡執事〜




「おはよう祐一って、眼鏡だー」
 教室に入って真っ先太一に声をかけられた。指は当然のように眼鏡を指している。
「いつもコンタクトなんだ。へー知らなかった」
「ああ、別に言うことでもないしな」
 どこかぼーっとした声で俺は言う。眠い……。
「確かにね」
 それもそうだと太一は小さく笑った。うん、このくらいの関係がちょうどいい。
「あ、芳岡くん、眼鏡っこだ!!」
 声の方を見れば言葉から想像できるように真鍋がいた。一緒に来たのか佐久間に西野の幼馴染トリオ、それに笠木がいた。真鍋の言葉に幼馴染の二人は露骨に嫌そうな顔をしていた。残る笠木は何故か恐ろしくきらきらした目でこちらを見ている。正直、真鍋の言葉よりも笠木の反応のほうが引く。
「ゆーくん、同志だったんだね!!」
 カバンを放り投げ、笠木は俺へと突進してきた。反射的に逃げたくなったが、そこは寝不足の身体、あっさりと両手をがっちりと掴まれた。横から殺気に似たものが送られているような気がするが、気のせいだと思いたい。
「いや、違う」
 速攻で否定した。隣りの問題ではない。なんとなく同意してはいけないと思ったからだ。しかし俺に構わず笠木は俺の両手を握り締め、ぶんぶんと振る。ちらりと西野を見ると笠木のカバンを拾っていた。いい奴だった。
「言葉の使い方が間違っていると思う」
「うんうん!! 希望と一緒で目が悪いんだね!! 希望はね、近眼だよ、そんでね、裸眼で0.1をきってるの!」
 聞いちゃいなかった。
「ゆーくんは? コンタクトって痛くない? てゆーか目に直接触れるんだよね? 怖くない?」
 一気に聞かれても答えられない……。俺は顔を引きつらせ黙った。返事をしたほうがこの手の人間はすぐに去ってくれるだろう。そんなことを眠気も手伝ってぼんやりと思う。
 あれ? 昨日教室で見た夢でも同じことを思ったな。
 つうか、あの夢はなんだ? 力をくれると言っていた。そう、星の化け物のと戦う力を。
 どうやって? どこからそんなものを持ってくるんだ?
 ククは昨日言っていた。
 この世界には無自覚に魔力を持つ人間がいると。
 俺がそれだって言うんだろうか? 詳しく聞いてみないと判らない。というより、この不思議な夢を話せばいいんじゃないか? なんで思いつかなかったんだろう。今日の放課後にでも聞いてみるか。
「ゆーくん、話聞いてる?」
 いや、と言おうとしたが、うるさくなりそうなので適当に返事をしておこう。
「慣れるまでは少し怖いな」
「へー。なんでコンタクトなの? 別に眼鏡でもいいじゃない。似合ってるよ」
 素直な賞賛に少し照れる。が、そんなことを表に出すわけには行かない。太一がそばにいるからではない。俺は、こいつに深く関わりたくないんだ。もう二度と、あんな――
 首を振って考えを消した。
「ん?」
「体育のときに邪魔でさ。つーかそろそろカバンを置かせてくれ」
「あ、ごめんね。あれ? 希望のカバンがない。……ミステリー?」
 幸せな思考をしている。殺気がふっと消え、太一から明るい声が出た。
「笠木、さっき放り投げてたじゃん」
「え? そんなことしてないよ、たっちくん何言ってるの?」
「いや、ホントだって」
 太一が指差すほうに西野がいた。朝っぱらから大きなため息をついて笠木の席に笠木のカバンを置いていた。
「あれ?」
 自分の席を見て小首を傾げる。……天然ってこういうことなんかな。
「おはよー」
 朝っぱらからこんな気だるい声を出す奴はただ一人、高野だ。
 高野はふらふらと横に揺れながら緩慢な足取りで自分の席についた。そして崩れ落ちるように突っ伏す。たぶん、笠木が立っていたのでそのまま寝ることにしたんだろう。たぶんでもなく確実に高野なら立ったまま寝れると思う。
「…………」
 何気なく、高野の手を捜した。枕にしていて見えない。ほっとしつつも残念と思う自分がよく判らなかった。

『じゃあ約束!』

 小さな子供みたいに小指を差し出す高野。顔に血が上る前にそれをかき消した。
 そうだ、夢の話をしなくちゃ。うん、早いほうがいい。そうに決まっている。俺は高野の下へと歩いた。起こそうと肩に手を伸ばす。直後、高野はがばりと勢いよく起き上がった。素早く周りを見回す。まるで警戒してるみたいに。
 その反応に俺は驚き、素早く手を引いた。高野がそれに気づき、俺を見上げた。
「ごめん! えっと、これは癖で――で、……で、……で、で、で、で」
「?」
 高野の動きが止まり、「で」の一文字を繰り返す。そのたびに顔がちょいと赤くなっている、ように見える。
「な、にゃ、な、な、にゃ、――にゃー!!」
 絶叫。
 それと同時に俺は後ろに突き飛ばされた。どうやら胸を思い切り押されたらしい。

 どんがらがっしゃん!

「うわああ!?」
 周りの机とイスと、クラスメイトを巻き込んで俺は背中を色んなものにぶつけることになった。……下敷きになった名も顔も知らぬクラスメイトよ、すまん。
「まいまい!?」
「何やってんの舞衣!?」
「舞衣ちゃん?」
 笠木、西野、そして真鍋までもが驚き目を見開いていた。すぐに笠木は高野の元へと駆け寄った。
「あ、あ、あの、違う! その、そんなつもりはないの!! えっと違うの違うの!!」
 高野の顔は真っ赤だった。茹でたたこよりも真っ赤だった。
「ほら、大丈夫?」
 太一が手を差し伸べる。ありがたくそれをとり、立ち上がった。すぐに下敷きにしてしまったクラスメイトを助ける。幸い、怪我はなさそうだ。謝罪をしてから高野を見る。高野もこちらを見た。
 目が合った。
「っ!」
 鋭く息を飲み絶句。顔は赤いままだ。……熱があるのか? 風邪か?
「風邪引いたのか?」
 一歩近づいた。俺の問に高野は無言で首を横に振り、一歩下がった。
「じゃあ……」
 なんだろう。インフルエンザか? だったら学校には来ないはずだが……。不思議に思いさらに近づく。高野は近づいた分だけ遠ざかる。……避けられてる? でもなんで?
「でも顔真っ赤だし、熱があるんじゃないのか?」
「そうだね、どうしたの、まいまい?」
 笠木が心配するように手を伸ばすが、高野は逃げ出した。けど、逃げる方向を間違えたらしく、教室の隅に自分から追い詰められていた。すごく動揺している。首を傾げ、俺と笠木は高野に近寄った。高野は逃げられない。酷くおろおろと周りを見ている。その周りに視線を走らせると怪訝な表情、ではなくどちらかというと生暖かい笑顔だった。なんだこの反応は?
「どれ、熱は、と」
「ぁ」
 動揺している高野に近づいた。さらに逃げないように肩を掴み、額に手を当てた。
「あ、あ、あ」
 熱い? かな。微熱があるようだ。
「風邪引いたんじゃないか? 頭に喉、痛くないか?」
「あ、もしかして」
 笠木が何かに気づいたように、はっと口元に手を当てた。
「のんのん! 違う、違うったら!!」
 また絶叫。振り払うように高野は暴れた。俺は大人しく手を離した。

 キーンコーンカーンコーン……

 朝のHRの開始を告げるチャイムが鳴る。俺たちを見守っていたクラスメイトは条件反射のように自分の席についた。俺もそれに倣おうとしたが、高野が気になるのでもう一度ちらりと見た。
 目がまた合った。
「――っ!!」
 顔を赤くさせたまま息を鋭く飲み、高野は急いで自分の席についた。
 なんだったんだ?
 疑問に首を傾げつつ、俺は席についた。


 一時間目が始まる短時間の休み時間。高野に声をかけたが、なんだかよく判らない言語を捲くし立てられ、誤魔化され(?)た。
 二時間目以降はいつもの高野に戻り、普通に話が出来た。しかし、なんであんな行動をとったのかは教えてくれなかった。また適当に誤魔化されたのだ。近くにいた真鍋と西野がニヤニヤしてるのが不思議だった。
 そして四時間目前の休憩時間。次の授業は体育なのでみんなさっさと移動する。もちろんそれは俺も該当する。
「祐一、あのさ」
「ん?」
 太一が後ろから声をかけてきた。俺はジャージを持ち振り返る。
「ねえ、一日だけバイトしない? 喫茶店なんだけど」
「喫茶店で? 部活はどうするんだ?」
 突然の申し出に少し目を見開いた。
「たまに休んだっていいだろ。頼むよ! 僕も行くけど、急に来れなくなったって言われて」
 パン! と手を叩いて拝むが、話の内容がよく判らない。
「ちょっと待て、話が見えないぞ」
「え? あ、そうか。ああ! もう着替えないと遅れる!!」
 ケータイで時刻を確認するともう授業開始まで三分もなかった。話を打ち切って俺と太一はダッシュで更衣室に向かった。

 太一の話はこういうことだった。
 うちの学校の近所(といっても徒歩で二十分ほどかかる場所)に太一の親戚が経営している喫茶店があるそうだ。
 小さい店だが、そこそこ繁盛しているらしい。うちの学生に人気って話だ(もちろん初耳である)。
 夫婦で切り盛りし、サポートでバイトを雇っているそうだ。たまに太一も手伝っている。もちろん、報酬はある。
 いつも大学生のバイトが来てくれているそうだが、今日は用事が入って出れないらしい。他の人間も予定が埋まっている。
 普段なら二人、またはプラス太一と三人で乗り切るところだが、生憎今日は雑誌の取材が入っているらしい(すごいことだ)。
 で、店長である旦那さん(太一の母方の叔父さん)はそれに付っきりになる。客が入っているところが見たいそうなので、通常営業らしい。そして、予定している時間がちょうど、うちの学校が終わる頃。うちの学生がなだれ込む時間だそうだ。そんな時間じゃ奥さんだけではとても捌ききれない。
 そこで助っ人が欲しいということだ。
「話は判った」
 寝不足の頭でどうにか理解する。
「じゃ、頼むよ!」
 体育の時間。男子は元気よくバスケの試合をしている。俺たちの出番はさっき終わった。無論、眠い俺は何の活躍もしていない。足でまといにならなかっただけ幸いだ。
「そういう事情ならいいが……何をさせるつもりだ?」
 激しい運動をした疲れと寝不足の頭に「接客」という言葉が埋め尽くされた。俺は愛想のいい人間ではない。お世辞で言ってもフォロー出来ないくらいだ。眉間にしわを寄せている俺に太一は真顔で言った。
「接客」
「無理だ」
 想像していた通りの答えに、速攻で返事をした。無理なもんは無理だ。
「注文とって、メモって奥に伝えるだけだからさ! 頼むよ!!」
「無理だ、他を当たってくれ」
「頼むって!!」
 俺は他人に無関心な人間ではあるが、友達と認めた人間を冷たくあしらうほど酷い人間ではない。何かを頼まれたら無碍に断ったりせず、ちゃんと応える。
 でも、それは自分が出来ると判断できたことだけだ。
「……無理だって。それこそ笠木に頼めばいいだろ?」
 片思いの相手と一緒に仕事。良いことじゃないか。
「駄目駄目駄目! 笠木には僕が働いているところ見てもらいたいんだ! つまり客としてもう誘っちゃってるんだ!」
 手が早い、という表現は間違いだ。
「じゃあ高野」
「笠木が誘わないとでも思ったか!」
 これは一種の逆ギレだろう。
「西野」
「笠木が誘わないとでも思ったか!」
 大事なことなので繰り返した、ということではない。
「じゃ真鍋」
「客にセクハラしたらどうするんだ!?」
 笠木の近くにいそうな人間の名を上げたが、速攻で斬り捨てられた。これは困った。太一には世話になっているから、このまま後は自分で頑張れよ、と突き放したくはない。でも俺はやりたくない。しかし真鍋って……太一の言っていることはすごく理解できる。……本当にどこに出しても恥ずかしい変態だ。
「佐久間は?」
 女子が駄目なら男子だと考えを変えた。
「用事があるらしい」
 すでに当たっていたのか。もしかして俺が最後なのか?
「頼むよ! みんな都合悪いみたいでさ、あとは祐一しかいないんだよ!」
 心底困った顔で太一は俺の考えを肯定した。
「なるほど……」
 助けてやりたいが……向き不向きというものがある。考えながら太一を見れば必死な表情で俺を見ていた。
 まあ、我慢できないことでもないか。
「判った」
 観念したように俺は両手を軽く上げた。太一の顔がぱあと明るくなる。
「愛想のほうは期待しないように」
「オーケイ!」
 親指立てて、ウインク。そんな爽やかに了承されると、俺が無愛想な人間だと肯定しているみたいじゃないか。


 放課後、まず今日は部活に出られないと高野と笠木に伝えた。理由は太一が説明した。体育の時間の話を思い出せば不思議でもなかったのだが、どうも今日は部活は休みだったようだ。理由を高野に尋ねたところ、こう答えた。
「三上先生、用事があるんだって」
 顧問の許可なしに活動しちゃいけない部活というものはあまりない気がする。それに高野は仕事で来ているのにいいんだろうか。……本人がいいって言うならいいんだろうが、ちょいと釈然としない。
 そんなことを考えつつ、着替える。場所は太一の叔父夫婦が経営している喫茶店のスタッフルームだ。この喫茶店は普通の一戸建ての家を改装したものだった。一階が喫茶店で二階が住居。スタッフルームはロッカーと小さめの机とがあるが、そこそこ広い。六畳間くらいかな。
「おー、似合う似合う」
 先に着替えていた太一がやってきた。別に制服というほど立派なものではない。ホテルのボーイよろしく白のブラウスに蝶ネクタイ、それに黒のベストだ。パンツも同色のぴちっとしたスーツみたいなもの。そしてエプロン。腰に巻くタイプだ。……こう言うと立派な制服か。ちなみに女子はベストとエプロンは同じ、下は同色のスカート、首にはリボンだ。
「そうか?」
 鏡に映った自分を見る。特別似合っているとは思わない。あ、眼鏡がちょいとずれてる。人差し指で直す。
「うん、眼鏡かけてるから知的な感じだ」
 改めて鏡に映る自分を見る。……別にそんなふうには見えない。まあ、自分のことを"知的な顔立ち"と思うような奴はそうそう――一瞬、ナルシストなネズミを思い出したが、すぐに忘れる――いないだろう。
 前の学校の人間にも似たようなことを言われた気がする……。ま、昔のことなんてどうでもいい。思い出したくもない。
「で、何時までだ?」
「えっと、夕食もあるから……十時くらいかな」
 壁にかけてある時計を見ながら太一は言う。
「そんなに?」
 ただいまの時刻、午後四時三十分ほど。いきなりで助っ人の俺に五時間以上働けってか。
「祐一は六時くらいまででいいと思うよ」
 げんなりした俺を見て太一は両手を振りながら言う。
「夜には大学生が来れそうって話だからさ」
 それを聞いて安心した。小さく息を吐く。
「じゃ、そろそろ行こう。その知的なフェイスで女子たちを篭絡してくるんだっ!」
 とても俺に出来ないことを太一は言いやがった。
「えーと、注文聞いて、奥に伝えて、届ければいいんだな」
「無視するなよ!」
 すまん、どう反応していいか判らない。肩を竦め、心の中で謝っておく。
「じゃあ行ってくる」
「僕も行くよ」
 今の反応が気に入らなかったんだろう、不服そうに太一はついてきた。……いや、俺にそんなもん求めないでくれ。


 初めてのバイト。
 ただひたすらに必死に働く。引きつってぎこちない笑顔で接客。客の反応を見る余裕など俺にはない。
「祐一、五番にこれ持ってってー!!」
「あい!!」
 最初は空いていた。徐々にうちの学校の女子で埋まっていった。気がついたら満席になってた。もちろん、その間ほけーとしていたわけもなく。ちゃんと働いていた。
「ほい、飲み物多いから気をつけて」
「おう!」
 コーヒーとオレンジジュースと紅茶、それにケーキ三種類の乗ったトレイを受け取り、慎重に歩く。このくらいは簡単だろうと高をくくっていたが、案外難しい。バランスがとりにくいのだ。
「笠木たちはまだかな……」
 入り口を見ながら太一はつぶやいた。
 誘ったはずの笠木たちはまだ来ていない。俺としてはこれ以上客が増えて欲しくないので来ないで欲しい。
 取材のほうはまだ終わらない。楽しそうに店長と記者が談笑している。客がいるのを判っているだろう、なんだあれは!? とは思わない。そんな余裕ないから。
 慎重に歩き、目的のテーブルへ。
「お待たせいたしました」
 きゃいきゃいと談笑していた女子三名がそろってこちらを見た。この視線が慣れない。手前の紅茶を取る。
「紅茶のお客様は……」
「はいはーい、あたし」
「私はコーヒー」
「残りあたしね」
「は、はい」
 戸惑っている間にトレイから飲み物とケーキが消えていく。
「ごゆっくりどうぞ」
 若干動揺しながら言って、下がる。
 慣れない。慣れないってこれ。いつも通りにほけーと流すわけにはいかない。よって気にならなかった他人の視線がとても気になる。はっきり言ってしまえばとても恥ずかしい。心臓もバクバクだ。客が多いときは気にならないが、ふと我に返るとすごく恥ずかしくなる。
「こちらはもうお下げしてよろしいでしょうか?」
 声のほうを見れば太一が自然な笑顔ですらすらと言っている。……慣れなのか才能なのか。あいつなら両方だろうか。この仕事をやっていくということだけに限ればとても羨ましい。

 カランカランカラン

 ドアが開き、カウベルが鳴る。来客の合図だ。
「いらっしゃいませ!」
 やけくそと条件反射が入り混じった声で俺は叫んだ。


 取材も終わり、客も少なくなってひと段落。時計を見れば五時三十分くらい。店内を見回してほっと一息ついた。
「笠木たちが……来ないよう……」
 悲壮という言葉がよく似合う表情で太一はつぶやいた。疲れと寝不足がピークの俺には同情する気持ちも起きない。
「すいませーん、会計お願いします」
「あ、はい、すみません!」
 客の声にはっと太一は我に帰るとレジにかけていった。俺はあくびをかみ殺しながら各テーブルの掃除を始める。……こういう仕事だけならいいんだがな。

 カランカランカラン

 来客を告げるカウベルが鳴る。
「いらっしゃいませって、西野に笠木、ってことは高野と真鍋もか?」
「やっほー♪」
 楽しそうに返事をされた。いつもとテンションが変だ。
「やっほう、ゆーくん♪」
 また楽しそうに笠木が俺を見て人差し指と中指を立ててVサイン。……テンションおかしい。
「やっほう、芳岡くん! うん、若者は働いてこそ輝くのよたぶん!」
 真鍋がテンション高く入店。……高野にセクハラしながら。
 具体的に言うと腰に腕を回して、腰をがっちりと掴んでいる。ではなく……その、なんだ、尻を撫で回している。幸い(?)なことにスカートの上からで、中に手を突っ込んでいるわけではない。
 目のやり場に困る光景。戸惑いながら高野を見れば、当然のごとく嫌がっていた。何とか真鍋の魔の手(文字通りだ)から逃れようと身をよじっている。
「いらっしゃい、笠木とその一行!」
 太一の歓迎は誰が目当てなのかとても判りやすかった。
「あ、いやっ! 美紗緒ちゃん、いい加減離してって!」
 高野が可哀想だった。太一を見れば笠木しか見ていない。……良かった、俺の友人はナルシストなネズミと同じ神経はしていないようだ。
「美紗緒ちゃん、離して、離して! 離して!!」
 化け物と戦っているよりずっと必死な表情で高野は声を張り上げていた。少なくなった客の視線が集まるが、真鍋は気にせず、高野はそれどころではない。……客、女子が多いとはいえ男子がいないわけじゃないんだ。その男子は視線をそらすか、若干嬉しそうに見ているかの二つに分かれていた。欲望に忠実というかなんというか、俺はそこまで堕ちたくない。
「お席に案内いたしますっ」
 嬉しそうに太一が四人を導く。俺はカウンターに行きお冷を人数分取った。メニューは各テーブルにあるので問題ない。
「ところで、止めないの?」
 さほど重要ではない太一のその言い方に、軽く酷いと思った。
「言ったって、力づくで止めたって、無駄なの」
 悟りきった笑顔で西野は言った。こいつも可哀想だ……。隣で笠木も頷いている。真鍋って……。
「もう! 美紗緒ちゃんの馬鹿!」
 顔を真っ赤にさせ、高野は両手で軽く拳を作って怒った。……なんか、微笑ましい。
「だって、舞衣ちゃん可愛いんですもの」
 同性にセクハラをした後、謝罪もせず、両手を頬に当てうっとりとため息をつく真鍋は生粋の変態だと思う。ま、知ってたけどさ……。
 女子四人が案内された席についた。高野は懲りた(とは違うか)のか、真鍋から一番遠い真正面の席に座った。当然の選択だろう。高野の右に笠木、左に西野だ。
 お冷をそれぞれの前に置く。
「注文が決まったら呼んでくれ」
「ん、判った」
 西野が頷きメニューをテーブルに置き、開く。それを四人でじっと見る。よくある光景だが、店員の立場から見るとちょいとシュールに見えないこともない。寝不足の頭はどうでもいいことを考えている。ぼりぼりと頭をかき、トレイを持って俺はカウンターに戻った。
 タイミング良く、二人組みの客がレジの前にやってきた。慣れない手つきで操作、精算。まだぎこちない笑顔で見送り。だから慣れないってこの仕事。
「芳岡ー」
 西野が俺を呼んだ。何故太一じゃないんだ? 店内を見回すと太一はいなくなっていた。店長辺りに呼ばれたんだろう。小さく息を吐き、西野たちのテーブルに向かう。
「注文決まったか?」
「うん、えっと、コーヒーとココアが一つずつに、レモンティーが二つ。全部アイスね。それと――」
 簡単にメモを取る。アナログだ。
「芳岡くん、この店で最もお勧めできないものは何かしら?」
 眩しいくらいの素敵な笑顔で、真鍋はとんでもないことを抜かしやがった。眩暈を覚えたのは俺だけでなく、西野は額に手を当てうなだれた。本当に、真鍋の幼馴染って大変だ……。
「とりあえず、今はそれだけで。他にあったらまた呼ぶよ。で、いいよね?」
 真鍋を一度も見ずどつき、西野は残りの二人を見た。笠木は頷く。高野も頷いて、何気なく俺を見た。直後、時が止まったように硬直した。
「?」
 首を傾げ、高野を見返す。さっきも顔が赤かったけど……今も赤いな。頭に上った血って、すぐに降りるもんじゃないから……ま、そんな不思議なことでもないか。
「ねね、芳岡、結構似合うね」
「んあ?」
 西野は俺を頭からつま先までじっくり見てから言った。
「そうそう、その制服。カッコ良いよ」
 同意する真鍋を胡散臭いものを見る目で見る。実際に真鍋ほど胡散臭い人間はそういないだろう。
「そうか?」
 バイトの制服のことを言っていたのか。しかし真鍋に褒められても何か裏があるんじゃないかと思って警戒してしまう。
「うん、素敵だよ」
 笠木が微笑み、カウンターの奥から殺気に似た気迫が俺の背中を突き刺す。
「ありがとう。ま、今日だけだからじっくり見てってくれ。これはタダだしな」
 気迫を無視して冗談交じりに軽く微笑んだ。
「じゃあさ、くるくる〜って回って」
「はい?」
 西野の訳の判らんリクエストに戸惑う。
「ファッションショーみたいにくるくる〜って」
 真鍋もそれに乗り訳の判らないことを言う。……要するにあれか、衣装を見せ付ければいいんだな? カウンターを見れば誰もいない。なら別にいいだろう。
 勝手に判断し、トレイを片手にくるくる〜と回ってみた。
「お〜!!」
 真鍋と西野の歓声。それと拍手。照れくさい。
「じゃ、じゃ次は『お帰りなさいませ、お嬢様』って言って」
 真鍋がとち狂ったことを言いやがった。
「だって、それエプロン取ったら執事服っぽいじゃん。眼鏡だし」
 それが顔に出たんだろう、真鍋が理由を言う。到底納得できるものではないが。
「眼鏡は関係なくない?」
 首をかしげる西野。
「いやあるよ!」
 常時眼鏡をかけている笠木が力強く言った。……そんな力まんでも。
「てことで、ちゃんとそれっぽいポーズして言ってみてよ」
 真鍋が無茶なリクエストをする。
「それっぽいって?」
 俺の変わりに訊ねるな、笠木。やらなくちゃいけなくなるだろう!!
「こう、胸の前に手を持ってきて、恭しく頭を下げるの。白手袋をつけてたら完璧ね」
 西野が説明する。何でそんなのに詳しいんだ?
「ああ、私持ってるよ」
「何でだよ!?」
 思わずつっこむ。おかげで注目を浴びてしまう。聞こえたんだろう、カウンターの奥から店長にも睨まれた。すぐに失礼しましたと平謝り。ったく、何をさせるんだ。
「ね、やって♪」
 白手袋を差し出し、真鍋は微笑んだ。
「やってやって♪」
 西野もノリノリで微笑む。……やめてくれ。助けを求めるように笠木と高野を見た。高野、今までずっと黙っているが……ああ、圧倒されているんだな。
「やって♪」
 笠木は俺を裏切った。高野を見る。
「!」
 びく、と一瞬身を硬直させ、ぎこちなく視線をそらした。どことなく恥ずかしそうだったのは気のせいだろうか?
 まあ、この反応だと助けてはくれないだろう。うげえと思いつつ西野と真鍋の幼馴染コンビを見た。何故かまたニヤニヤしている。普段ボケとつっこみと成り立っている二人が同じ表情をしているというのはとても不気味だ。
「やってやって♪」
 幼馴染コンビは声をハモらせて迫る。思わず俺はその分だけ引いた。
「舞衣に」
「舞衣ちゃんに」
 幼馴染コンビはまたハモらせて言った。
「へ?」
「ええ!?」
 同時に俺と高野が声をあげた。
「ちょ、な! 違う、違う!!」
 また高野の顔が赤くなる。違うって何がだろう?
「だから違うって言ってるでしょ!?」
 顔を真っ赤にさせてテーブルをバンと叩いて猛抗議。だからって何? 二人が高野をからかっている、のかな? 状況を見ればそれそのものだが、何でからかっているのか判らない。笠木を見るとにこにこと微笑んでいる。これは答えてくれなさそうだ。
「えっとよく判らんのだが」
「違うの! 違う、そうじゃないってば!!」
 高野は何か必死に言い訳している。
 えっと俺は何もしてないし特別何も言っていないんだが……。困惑して西野と真鍋を見るが、二人はニヤニヤしたままだ。
「あのねえ、舞衣ちゃんねえ、芳岡くんが――」
「美紗緒ちゃん!!」
 高野は立ち上がって真鍋の口を塞ごうとするが、真正面という席が祟って届かない。
「舞衣ちゃんね、芳岡くんが好き――」
 さらりととんでもないことを真鍋は言った。理解するよりも早く、顔を真っ赤にさせたまま高野は叫んだ。
「そんなわけないでしょ! こんな嫌なことあったら現実逃避して心配してくれる人も無視してボーっとしてる奴のことなんか、あたし好きじゃないもん!!」
 ――何を言われたのか、判らなかった。けど、すごくショックを受けた。
 店内がシーンと静まり返る。
「まいまい!!」
 険しい顔をして笠木が立ち上がる。
「ちょっと、舞衣……ていうか、美紗緒!!」
 西野は立ち上がらなかったが、高野を見ようとして止め、真鍋を睨みつけた。その真鍋はあちゃ〜という表情をして頭を掻いている。
「祐一! ちょっと手伝って!!」
 カウンターの奥から何も知らない太一の能天気な声が聞こえた。
「ごゆっくりどうぞ」
 俺はテンプレート通りの言葉を言って下がった。高野を見ると一瞬泣きそうな顔になったが、すぐに表情が戻る。そしてぎこちなくそっぽを向かれた。
 なんとなく、納得する。

 ――高野って、俺のことをそういうふうに見てたのか。


 カウンターに戻れば仕事を頼まれた。洗い物ではなく、荷物(発注した食材やジュース)を運んでくれとのことだ。本来大学生がやるべきことらしいが、今はいないので俺と太一の二人でやる。単純な力仕事なので接客よりも随分と楽だ。荷物はスタッフルームにある。これをキッチンやらどこかに運ぶ。
「違う……違うんだ、僕が笠木に見せたいのはこんな姿じゃない……」
 涙声で太一はぶつぶつと言う。
「笠木は客席で、ここは裏だろう。見せるも何も」
「そんな正論なんて聞きたくないんだよ!!」
 唾を飛ばしながら切れる太一。紛れもなく逆ギレだろう。
「で、さっきなに騒いでたの?」
 うって変わって冷静に訊ねる太一。変わり身の早いことで。
「…………」
 あんだけ騒げば当然、聞こえてるよな。
 さてどうしたもんか。高野のあれは……売り言葉に買い言葉みたいなもんだろう。でも……理由のほうは本音、だろうな。思ってなかったらあんなとっさとはいえすらすら出てこないだろう。
「真鍋が高野をからかってただけだ」
 当たり障りなく、別に間違いでもないことを言う。
「ふうん」
 眉をひそめる太一。深く聞いてこないことが嬉しい。
「実際は美紗緒さんが祐一さんに『舞衣さんは祐一さんのことが好きなんだよー』みたいな話をして、舞衣さんが全力で否定して子供っぽくて気まずいって話ッス」
 ……ネズミの声が、聞こえる。
「は?」
 太一は手を止めて俺を見る。いや、正確には俺の右肩を見る。俺も首を動かし、見た。
 そこには十センチほどのジャンガリアンハムスターがいた。
「はろろーん♪ ッス」
 ふざけた挨拶に俺は反射的に右手でネズミを掴み上げ、遠くへ投げ飛ばそうと――
「待って、待って祐一」
 投げ飛ばそうとして、太一に止められる。落ち着いて、右手の中身を握りつぶさないように注意しながら目の高さまで上げる。
「お前、どうやってここまで来たんだ?」
「その前に、祐一さん、苦しいッス……」
 握りつぶしてはいないが、気道諸々は潰す寸前だったみたいだ。力を緩め、周りに人がいないことを確認してから近くのダンボールの上に置いた。
「ふう……、さすがに危なかったッス……えーと、舞衣さんたちが騒いでいるときに、こっそりポケットから抜け出してきたッス。皆さん舞衣さんに注目してたんで簡単に出れたッス」
 どうやって来た、はちゃんと説明している。
「で、何でこっちに来たんだ?」
「だって、皆さん楽しそうに喋ってるのに、ボクだけずっと黙りっぱってのは拷問ッス」
 笠木だけなら出れるが、西野に真鍋がいると出られない。無駄に喋るこのネズミにとってはそれは確かに拷問だろう。
「寂しかったと」
 太一の的確な言葉にククは身体を硬直させた。
「そう、ッス、ね……」
 反論しようと思ったんだろう、拳を上げかけ、下げた。なんとなく、切なさを感じる。
「で、高野って実際祐一のこと好きなの?」
 仕事を再開した太一がストレートに、何より突然話を元に戻した。
 今の言葉で今までの高野の反応に納得いくものを感じた。そうか、朝動揺していたのはいきなり目の前に好きな人がいたからか。そりゃ誰でも驚く。
 ……その"好きな人"が俺ってのは到底納得出来ないが。
「で、高野は違うって反論したんでしょ?」
 ダンボールを持ち上げつつ太一は言う。
「あい、えっーと、再生再生……」
 ぶつぶつとつぶやき、ククは自らのこめかみを指でつんつんとつついた。……が、小さいので頭を抱えているようにしか見えない。
「『嫌なことあったら現実逃避して心配してくれる人も無視してボーっとしてる奴のことなんか、あたし好きじゃないもん』って言いましたッス」
「ははー」
 こりゃまいったね、みたいに笑う太一。
「発言の内容はともかく、高野は祐一のことをよく見てるみたいだねえ。へー、高野にはそう映るんだ」
 どこか違った方向で納得している太一を少しだけ睨みつける。
「お前はどう思ってるんだよ」
 言って後悔した。俺はそんな人と深く関わる気はないんだ。一時の好奇心に負けてはいけないのだ。――自分を守るために。
「人と関わるのが嫌いな人。けどたまに面白い」
 ニコと俺に笑いかける太一はとても無邪気だった。
「だから祐一自ら高野に関わろうとしているのは不思議で新鮮でとても興味深い。けど聞かれたくなさそうなので聞かない」
「…………」
 言葉を失った。
 太一は言った。高野は俺のことをよく見ていると。太一、お前だってそうじゃないか。
 聞かれたくなさそうと思ったら、聞かない。好奇心に忠実な性格をしているのに、ちゃんと一線を引いてくれている。
 太一は本当にいい奴だ。
「で、高野の言っていることはあってるの?」
 少し意地悪そうに太一が笑う。
「そんなの、俺が知るかってんだ」
 嬉しさ隠しでぶっきらぼうに答える。多少自覚はあるが、と内心付け加えておくのも忘れない。
「ふぅん。で、祐一は高野をどう思う? 性格はともかく見た目はいいよね。結構人気あるんだよ。クラスの連中とは遊んでるけどさ、バイトしてるってみんなには言ってるでしょ? 実際放課後急いでるとこを何度も見てるし。だからなかなか声をかけにくいって隣のクラスの男らから愚痴をよく聞くよ」
「なん、だと……?」
 反応したのは俺ではなく、ククのほうだった。恐ろしく真面目な顔で驚愕している。俺はというと、いつも通り初耳のことに感心するばかりだ。へー、高野ってモテるんだ。
「舞衣さんに……ボクの舞衣さんに……! 悪い虫が付くというッスか!!」
「いや、付いてないし、いつからククのものに――」
「パートナーなんス! つまり、イコールでボクのものッス!!」
 本人に聞かれたら殴られそうなことを叫ぶクク。
「何でもいいが、もっと音を下げろ」
 自分の立場を判ってるんだろうか、このネズミは。
「え?」
 目をこする。眠いが、痒かったわけではない。目を疑ったのだ。
 ダンボールに乗っているククのその向こう、空のダンボールが詰まれたその下から、深緑色の光の粒子が見えた。星の化け物が力を消滅するときに見られるそれそのものだ。でも気のせいか、いつもより力強い光を放っている。
「えって?」
 太一が手を止めこちらを見るが、俺はそれに構わず光の粒子の発生源へと歩み寄った。
「え!?」
 驚愕のククの声。
「えって、なに二人して」
 太一には見えてないのか? でもククには見えている。そうか、星関連のことなんだ。
 空のダンボールをよける。光の粒子の発生源を確認する。
「何? どしたの? 祐一そこはもう出したよ」
 悪いと思いつつ太一を無視する。
「これは……蛙?」
 蛙。蛙は蛙。色はアマガエルのような鮮やかな緑。ただし、大きさは例によって当社比十倍、いやそれ以上、といったところか? 十五センチくらい蛙だ。
「かえる? 帰るの?」
 疑問だらけの太一の言葉が終わると同時、蛙がピョンと俺に向かって飛び跳ねた! いや、これは攻撃だ!! 断定は出来ないが、なんか敵意を向けられている!! 反射的に後ろに下がり、空のダンボールを手に取り叩きつけた。ヒット! しかしそんなことで蛙もやられはしない。ダンボールを無視してまた飛び跳ねる!
「どういうことよ!?」
 スタッフルームの裏玄関、荷物を入れるドアから高野が現れた。
「判らん!」
 先ほどの暴言(本音か?)はすぐに頭の外へと追いやられる。俺はまたダンボールを手に取り、飛び跳ねる蛙に向けて振るう。
「何でこんなところに!? もう!!」
 高野は蛙に向けて走り出そうとするが、散らかったこの部屋ではそれは叶わない。
「え、これって星なの?」
 状況を理解した太一は邪魔になるククを乱暴に掴み、後方に下がった。賢明な判断である。その間、蛙は飛び跳ね俺を狙う。俺もダンボールで応戦。
「待って、高野! 武器はまずい!!」
 いつものように槍か何かを出そうとした高野の動きが止まる。
「あ〜、もう!!」
 星をどうにかするのに物を壊すわけにはいかない。高野もそれを理解したようだ。俺と同様に空のダンボールを持った。
「まず外に出そう!」
「了解!」
 二人で蛙を捕らえようと動く。が、さすが蛙。ピョンピョン飛び跳ね巧みに避ける。俺たちはさほど広くはないこの部屋で、なかなか思うように動けない。互いの足を引っ張り合っていた。
「あ、ちょっとそっちは店!」
 太一が叫んだときには遅かった。俺たちの隙をつき、蛙は少しだけ開いていたドアの隙間から厨房へと逃げてしまった。
 直後、悲鳴。太一の叔母さんだろう。
 俺たちはダンボールを放り投げ、店になだれ込んだ。

「叔母さん、蛙が急に!!」
 太一の叫び声。見た目はただの巨大な蛙。化け物とは思えない。嫌いな人にとっては化け物だろうが、そこら辺は気にしないでおこう。
「なんだこの大きさは! ウシガエルか!?」
 太一の叔父さんは驚き目を見開くが、さほど動揺していない。
「ウシガエルって確か食べられる――」
「んなこといいから捕まえるぞ!!」
 太一がどうてもいい知識を披露しかけたが、すぐに止め捕獲作業に入った。
「待て、そっちに追い込むな!! そっちは客席だ!!」
 叔父さんの忠告も遅かった。俺と高野に追われていた蛙はガスコンロや鍋やらなんやらを飛び越え、さらにカウンターを飛び越え、客席へと豪快な跳躍を遂げていた。
 直後、また絶叫。
 これはたぶん、西野だ。

 客席に俺たちはなだれ込んだ!
「いやいやいやいやいやいやー!!」
 西野が真鍋に抱きついて泣いていた。よっぽど蛙が嫌いなんだろう。店内をさっと見回せば、幸い客は西野たちだけになっていた。
「なにあれ、でっかい!!」
 真鍋は好奇心に目を輝かせていた。……嫌だこんな女子。
「ゆーくん、たっちくん!!」
 笠木がこちらを見て口を動かす。
『ほし?』
 意味が理解できた俺たちは頷いた。
「とにかく捕まえろ! 叔母さんは下がって!! 太一くん、ダンボール持ってきて!!」
「はい!!」
 叔父さんの指示に太一は叔母さんを連れて裏に下がった。
「ゆーくん!」
「いいからお前も下がってろ! 真鍋を止めとけ!!」
 何故か嬉しそうに目を輝かせている真鍋を見て、笠木ははっと歩みを止めた。
「うん、でも、まいまいは?」
「え!?」
 ぐるりを店内を見回した。……いない。
「祐一くん、そっち!」
「あ、はい!!」
 叔父さんの声に我に返り、ダンボールを振るうが、華麗に避けられる。くそ、何でこんなに身軽なんだ!! 蛙が飛び跳ね、それを追いかけ、その結果テーブル・イスを何個かなぎ倒した。客席は散々な状況である。
「外に出すぞ……、えっと眼鏡のお嬢さん、合図をしたらドアを開けてもらえますか?」
「は、はい!」
 叔父さんはダンボールを持ち、紳士的に笠木に言う。笠木もすぐにドアに向かう。しかしそれに気づいた蛙はまたピョンピョンと飛び跳ね、カウンターのほうへと向かう! まずい、そちらに戦えるのは太一しかいない!
「せいやー!!」
 景気の良い声と同時に槍の様な細長いものが蛙と随分離れたところ目掛け一直線に飛んでいった! なんだ!? つうかどこ狙っている!?
 蛙は何事もなかったように飛び回る。回避するまでもなかった。細長いものは無事だったテーブルに直撃した。大きな音を立て、床に落ちるそれは……虫取り網だった。
「なんで虫取り網が?」
 叔父さんの疑問は最もで、でもそれは蛙を捕まえるのにはなかなか有効な道具だった。
「芳岡、援護して!」
 カウンターを飛び越え、高野が客席に豪快に着地、いくつかのテーブルとイスをなぎ倒し、虫取り網を拾う。……高野が作ったのか?
「おう!」
 疑問はおいておいて、蛙に特攻をかける! 蛙は慌てて俺を避けようとまた跳躍。しかしその先には虫取り網を構えた高野が。無理矢理身体を捻り、さらに舌を尋常では考えられないほど伸ばし、壁に当て、その勢いを利用して進路を変更。
 そこは入り口。
 スタンバイしていた笠木はドアを開ける。優しい音を奏でるはずのカウベルが耳障りな音を上げる。
 外に飛び出した蛙を俺たちは追いかけた。
 よし、外なら思う存分暴れられる!

 この喫茶店は住宅街にある。車の通りは少ないが、人の通りは時間によっては多い。
 幸い、いない時間だった。
 蛙は俺たちを確認するとすぐに逃げ出した。道路のほうではなく、店の裏側へ。蛙なりに道路は危険だと理解しているんだろうか?
「うし!」
 ダンボールを握り直し、俺はすぐに蛙を追いかけた。高野もそれに続く。
「それなにで作った?」
「ん、ガスコンロの火」
 短い会話で疑問解消。
「いた!」
 喫茶店の裏。スタッフルームへの入り口がある。そして、ごみ置き場もある。蛙はごみ置き場の前にいた。
 こちらに殺気を放って。
 やる気満々って奴か。
「芳岡は下がって」
 情けないが無言で頷き、下がった。戦えない俺は邪魔でしかない。
 高野は蛙に向けて槍、じゃなくて虫取り網を構えた。槍と全く同じ構えなので虫取り網の存在がかなり滑稽である。
 にらみ合う高野と蛙。……真面目に仕事している高野には悪いが、やっぱりとても滑稽な絵だ。
 おかしさに顔が歪む。その状態で蛙と目があった。直後、蛙は高野ではなく、俺に向かって飛んできた! 攻撃の兆しとでも思ったのか!?
 ダンボールを掲げ、楯にする。高野はまさか俺を狙うとは思っていなかったらしく、遅れて反応した。すぐに虫取り網を握り直し、蛙に鋭い突きを放った。が、蛙の後ろには俺がいる。慌てて速度を緩め、結果、蛙を強く押すだけになった。それは飛んできた蛙の速度を上げることになってしまった。
 蛙をダンボールで受け止めるが、強い勢いにダンボールは容易に折れ曲がった。これじゃ楯の意味がない。腕で身体を庇う間もなく、蛙が俺の腹にヒットした。
「げほ!」
 思ったよりも重い衝撃に胃の中がひっくり返りそうだ。反射的に口を手で塞いだ。激しい動きに眼鏡がずれて、視界が歪む。
「ごめん、芳岡!」
 ぼやけた世界の中、高野が虫取り網を振り回しこちらに走ってくる。それを見た蛙は俺の腹からまた跳躍。衝撃にまた口元を押さえた。うげえ……。
 蛙は動揺した高野の頭に着地、さらにまた跳躍。その際高野の頭を思い切り蹴り飛ばした。高野はその衝撃に、走ってきた力もあって、俺に倒れこんできた。身体に衝撃が残っている俺は避けられない。
 どしん! と全身に衝撃が襲い掛かった。幸い、腹に力を入れて備えていたのでこれ以上の吐き気はない。
「ったあ〜!」
 俺がクッションになった高野には怪我はないようだ。よかった。俺の顔を挟んで高野の両手が大地を握り締める。
「またごめん! だいじょぶ?」
 その状態で俺を見下ろす高野。身体は密着したまま。眼鏡がずれて、歪むはずの世界でも、この距離なら関係なかった。
「――あ」
 顔が、近かった。
 高野の肩までの髪の毛が、ぎりぎりに触れるくらいに。
 互いの息がかかるくらいに。
 俺は苦しいながらも何故か息を止めてしまった。
 だから、高野の息が俺の顔にかかる。
「あ、あ」
 ふわりと暖かい吐息が鼻をくすぐった。高野は顔を真っ赤にさせ、立ち上がり俺に背を向けた。
「ばか」
 小さい声だったが聞こえた。
 虫取り網を握り直し、再度蛙に向き直る。腹と息のかかった鼻に触れつつ俺も起き上がる。……暖かかったな。でも今は戦闘中。そんな考えは邪魔なだけ。首を横に振ってすぐに振り払う。が、暖かい吐息の余韻はそう簡単に消えなかった。
 ――何を今更、俺は倒れかけた高野を抱きとめたりしてるじゃないか。
 顔に息がかかったくらい――。
 ただの友達で、部活の仲間で、当然付き合ってなんていないけど……でも、これは人助けだし、違うんだ。
 俺、誰に言い訳しているんだ?
 我に返って高野と蛙の戦いを見る。
 虫取り網を振り回す高野と、それを避ける蛙。戦いではないな……。顔をしかめ眺める。
 飛び回っていた蛙は大地に着地。今までとは違う反応に高野は身構えた。蛙はぐ、と脚に力を入れたかと思うと、弾丸のような勢いで高野に向けて飛んでいった! しかしそこは戦い慣れている高野、素早く回避。蛙はごみ置き場であるコンクリートの壁に突っ込み、破壊した。……どんな威力だよ。
 しかし、当たり前だが、この攻撃は直線だ。仕掛ける前にためもあるし避けやすいだろう。……高野なら。俺が狙われたらたぶん、避けられない。もちろんダンボールじゃ防げない。
 ……逃げようか? そんな考えがちらつくが、情けないし、その動きに反応して何をされるか判らないので大人しくしていよう。これはこれで情けない。
 ああ、戦う力が欲しい。
 そんなことを思っていると、高野は蛙の動きに合わせ、同じように跳躍をした。……こいつ、どんな脚力だよ。
 近づくたびに虫取り網を振るい、捕らえようとする。蛙は必死に身をよじりそれを回避。それを何度も何度も繰り返す。蛙はいいとして、高野はバテないのか?
 俺の心配をよそに高野は蛙にぴったりとくっつき、攻撃を繰り返す。戸惑っていた蛙も異様に伸びる舌で応戦し始めた。アクション映画のような光景だ。ただ何度も言うが相手が蛙ってのはなあ。
 同時に着地、蛙がために入る前に高野はすぐに距離を詰める! 蛙も動じることなく高野に跳躍する。舌を伸ばし、虫取り網で防がれる。そのまま武器を奪おうとするが、高野は立ち止まり、足と手に力を入れて拒む。蛙も着地し、力任せに引っ張る。綱引きだ。
 こう着状態。固唾を呑んで見守る。援護したほうがいいと思うが、どうすればいいのか判らない。そういえば誰も見に来ないな。太一と笠木が押さえてくれてるということか。
 疲れが出た高野の腕が少しだけ下がった。その隙を蛙は見逃さず一気に引っ張った。高野の体勢は大きく崩される! 慌てて高野は立て直す。しかし蛙はあっさりと舌を離し、同時に脚に力を入れた。
 まずい! あの弾丸か! 今の高野じゃ避けきれない!
 蛙の脚が大地を力強く蹴る。弾丸の勢いで蛙は高野に飛んでいく! コンクリートをあっさりと破壊したあの威力。生身の人間が受け止めたら血の海だ。
「――!!」
 身体が動いた。間に合わないと判っていても俺は高野に向かって駆け出した。
 高野はようやく体制を立て直すが、もう遅い。蛙はすでに空にいる。
「あたしをまもって!」
 虫取り網がぐにゃりと歪み、元の姿、炎となった。それは高野めがけ一直線に飛んできた蛙をあっさりと包み込んだ。同時、俺は炎から高野を遠ざけようと横から押し倒した!
「うええ!?」
 戸惑う高野の声。後ろを見れば炎はその場を少しも動くことなく、火柱となって蛙を焼き尽くしていた。高野の目の前、でも高野に届かない場所で火柱になったようだ。その中に深緑色の光が一瞬見えた。
 あれ?
「うー」
 俺の下で高野が呻く。程なくして炎は消え、真っ黒になった星が地面に落ちた。
「…………」
 俺のしたことって無意味だったのか?
 その答えを求めるように下の高野を見た。
「――あ」
 顔が、近かった。
 俺は手と肘を突いて顔を上げていた。
 先ほどとは逆だ。
 影になって断定は出来ないが、高野の顔は赤かった。
「あの、あのっ、よけて……」
 つい、と視線をそらして高野は言う。
「あ、あ、あ、あ、すまない」
 俺も赤面して慌ててよけようとした。これがまずかった。バランスを崩し、また高野を押しつぶす羽目になった。苦しそうな声がすぐそばで聞こえた。
「ご、ごめん!」
 また慌てて顔を上げた。これもまずかった。とどめとばかりに寝不足とバイトの疲れがここで出て、力が抜けた。
「――!!」
「――!!」
 先ほど以上の至近距離。鼻と鼻が擦れあう距離。眼鏡が高野に落ちそうだった。
「…………」
「…………」
 互いに動揺しているが、どうしていいか判らず硬直。
「…………」
「…………」
 気がつけば互いに息をしていなかった。このままだと死ぬな、と他人事のように考える。
「にゃーーーーー!!!!!!!!!」
 高野の絶叫。この状況に耐えられなくなったんだろう。うん、俺もどうにかしたい。
「!?」
 まず、顔面を強打された。次に肩を思い切り押された。俺の上半身は力なくふわりと浮いた。次に腹部、というか、鳩尾に電撃のような衝撃が走った。息が(元々止めていたが)止まり、意識が薄れていく。さらにタックルをかまされた。俺の身体は宙に浮いたかと思ったらすぐに地面に叩きつけられた。
「まいまい、何やってんの!?」
 笠木の怒声。それを最後に俺は意識を失った。



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