「ごめんなさい」
 朝、自分の席について、いきなり高野に謝られた。
 ……?
 迷惑かけられたっけ?




スターハンター 09
〜嵐を呼ぶ転入生、それと人肌恋しい子猫〜




「……?」
 無言で首を捻る。頭を下げている高野を見る。
 まったく身に覚えがない。
「えっと……?」
「んー……、ほら、昨日一応、かばってくれたのにぶん殴ったから」
 ……ああ、殴るってよりあれはコンボだった気がするんだが。謝っている相手にこういう指摘はやめよう。たぶん、逆ギレされて更なる暴行を加えられる。
「かばったってあれは……うん……」
 俺がでしゃばらなければ起こらなかったことだし、と続けようとして思い出した。
 至近距離で見た、高野の顔。
「!」
 叫びそうになり、慌てて口を押さえ高野から離れた。
「?」
 今度は高野が首を傾げる。そりゃ俺の今の行動は不可解極まりない。
「い、いやなんでもない……」
 嘘だ。
「そうならいいけど……」
 怪訝な顔して高野は言う。
「うん。で、ごめんなさい」
「お、おう」
 気を取り直して律儀に頭を下げる高野に俺は適当な返事をする。
「まめだな」
 率直に思ったことを言う。
「のんのんに怒られたの」
「……さいですか」
 なんか、納得……。
 なんでここまで素直に笠木の言うことを受け入れるのかね。不思議だよ。
「れでぃーすえーんどじぇんとるめぇ〜ん!!」
 思い切り日本語発音な英語が教室に響いた。
 何事かと視線を送れば、教壇に太一が立っていた。カバンを背負ったままなので今着たばかりなのだろう。
 教室中の視線を受け、太一は口を開いた。
「なんと巨大でビッグなニュース!!」
「同じ意味じゃない……」
 小声で西野がつっこんでいた。……そういう体質なんだろう。ため息をついて、視線が自然と真鍋に行った。
「なに?」
 俺の視線に気づいた真鍋が首を傾げる。
「いや、なんでもない……」
 肩を竦める。
 教壇の太一が言葉を続ける。
「本日、我が二年三組に転入生がやってくるぞ!!」
「おおおおおおおおおおおおおおお!!」
 太一のハイテンションにつられたのか、何人かの生徒が歓声を上げた。
 転入生。
 転入生。
 高校は珍しい。
「えええ、本当!? 宮本くん!?」
「うん、マジマジ!!」
 近くにいた女子にハイテンションで肯定する。
 それによって教室内が一気に騒がしくなった。
「転入生ってマジかよ! 今の時期に? おお、なんか漫画みたくない? 男か、女か!?」
 ぎゃーすかぎゃーすか。
 確かに今の時期、新学期が始まったばかりに転入生ってのは珍しいが、こんな騒ぐことか。同様のことを思っているのか知らないが、高野はお祭り状態になっているクラスメイトを見てぽかんとしている。
「おおっと! まだまだビッグな情報は終わらないぃいいいいいい!!」
 朝っぱらから壊れてやがる。
 比較的冷静組(俺のほかに西野と佐久間とその他三名ほど)が太一に哀れむ視線を送っていた。
「なんと、にゃんと!!」
 にゃん、はないだろう。
「にゃんと男と女一人ずつの二人も同時にくるぞうううううううううううううううううう!!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 盛り上がりが最高潮に達した。
 ……うん、そら珍しいけどさ……。この盛り上がり方はないだろう。
「一気に二人ね、珍しいけどうちのクラスならありえない話じゃないか」
 西野は腕を組んでふうと小さく息を吐いた。
 うちのクラスは他のクラスとちょいと事情が違う。
 私立鳴星高等学校は進学率・就職率ともに高い学校だ。それにはちゃんと理由がある。
 二年に上がったらまず、進学・就職クラスが分けられる。文理に分かれるのはさらに三年に上がってからだ。
 それで、うちのクラスはどちらかというと……実はどちらでもない。
 家庭の事情その他諸々で迷っている生徒のための進路不確定クラスなのだ。
 普通そういう学生のほうが多いものだが、この学校は将来をきっちり決めて入る奴が圧倒的に多いのでさほど問題にはなっていない。というか、決めていない人間は面接で落とされるそうだ。……転入生だったとはいえ、俺もよく入れたもんだ。
 そういう体質なせいか、うちのクラスは他のクラスよりも人数が二、三人少ない。
 少子化だってのに入ってくる人間を選り好みしておいて経営難に陥らないのは、築き上げた実績のおかげだろう。
「漫画みたいってのは確かだね」
 うんうんと頷く佐久間。つうかこいつらいつの間に俺の周りに集まっているんだ?
「男はいい、女の子が楽しみだわ〜♪」
 真鍋は西野と佐久間に殴られた。
「てよりさ、この学年転入生、多いよね」
 真鍋の首を絞めつつ西野は言う。
「そうだね、ゆーくんに、まいまい」
 視線が俺に集まって、次に高野に行く。
「珍しいの?」
 きょとんと高野が言う。
「うん、あんま聞かない」
 佐久間が軽く頷いた。高野はふうんと感心している。……こういうことには疎いらしい。当然か。
「ま、いいやそんなこと」
 高野はあまり興味がないらしい。
「待って、私はキョーミシンシン! 具体的に女子のほう!!」
 真鍋はそう言うと西野を抱えて太一のもとへと駆け出した。西野を持って行ったのはただ単に近くにいたからだろう。慌てて佐久間が追いかける。真鍋は何気に力持ちのようだ。
 ぽかんと俺たちは見送る。転入生にさして興味がない俺たちは追いかけたりはしない。というか、真鍋が関わるだけでなんとなくノーサンキュウという感じだ。
「そんで、芳岡、あたし何したらいいの?」
「は?」
 急に話が変わった挙句に、振られ、間抜けな声を上げる。
「昨日殴っちゃったから、その話」
 笠木が翻訳する。
「今まで通り仕事手伝えるならそれでいいよ」
 何かして欲しくて行動したわけじゃない。だから正直この高野の申し出には困った。
「えー」
 心底困った顔をする高野。……笠木が何か言ったのか?
「駄目です、悪いことをしたら、ちゃんと謝らなくちゃ駄目なのです。なので、ゆーくん、何でもいいからまいまいに出来ることを言って」
 笠木は教育ママか。
「え? ええ? えー。うーん……」
 これは困った。たぶん、笠木は俺がちゃんと答えない限り引き下がらないだろう。……高野の教育のため……だとしたら……なんなんですかこの二人。
 それはともかく、今は厄介ごとを片付けなくては。
「そうだなあ……」
 ピンと閃いた。
 今日、父は出張でいない。母はパートの飲み会とか言っていた。つまり、夕飯がない。これはナイスだ。
 俺はぱちんと指を鳴らした。
「晩御飯食わせてくれ」
「ほえ?」
 言い出しといてなんだそれは。ちょいと可愛いぞ。
「今日、親がいなくて晩御飯がないんだよ。だから作ってくれ」
「なるほど、いいよ」
 簡単に説明すると二人は納得したように頷いた。……笠木は別にいいんだがね。
「じゃあ何にする? せっかくだから芳岡の好きなのにするよ」
 料理人、高野は軽く言う。この前食べた弁当を思い出す。こいつは料理上手だ。期待していいだろう。
「カレーライス」
「カレー?」
 笠木が間の抜けた声を上げる。
「うん、好きなんだ」
「判った。ビーフ? チキン? それともポーク?」
 肉の指定も出来るのか。さすが高野、料理の鉄人だ。
「チキン」
 自分で顔が緩んでいるのが判る。
「ん、チキンカレーね。じゃ今晩はそうしよう」
「な!」
 ばん!
 高野のポケットから顔を出しかけたネズミがどつかれた。


 程なくして担任がやってきた。
 太一の情報通り男一人に女一人を連れて。ちゃんとうちの制服も着ている。
 男のほうは少し目つきが悪いが、整っている顔。髪も清潔に短く切っている。女のほうは腰まで届く黒髪のストレート。男同様目つきが少し悪い。それに鼻筋が通ってキリっとした印象だ。美人は美人だが近寄りがたい感じがする。
「宮本から聞いたと思うがー」
 ここで太一が誇らしげに片手を上げる。そうしたら何故か拍手が巻き起こった。無駄にノリがいいぞ、うちのクラス。
「転入生だぞ。
 じゃあ、自己紹介を頼む」
 担任は笑って一歩引き、二人を前に出した。
日下部くさかべ隼人はやとです。えっと、埼玉からきました。こっちに来てまだ時間も経ってなくて、慣れてなくて変なことをするかもしれないけど、よろしくお願いします!」
 パチパチパチパチ!!
 お辞儀をした男、日下部に惜しみない拍手を送るクラスメイト。もちろん俺も。慣れてなくて変なことをするってどういうことだ? 変な自己紹介だな。それに埼玉か。高野もそうだっけ……。視線を高野にやる。
「――!」
 無表情。
 俺を、拒絶したときよりも更に、強く拒絶している感じがする……。
「日下部亜紀あきです。同じく埼玉からきました。というより、隼人とはきょうだいです。あ、といっても義理です。血の繋がりはありません。血の繋がりがあるのは舞衣のほうです。隼人同様、私も不慣れです。なので色々教えてください。これからよろしくお願いします」
 さらっとすごいことを言わなかったか? それ以外は礼儀正しい挨拶だ。
「えええええええええええ!?」
 拍手よりも先に驚愕の声が教室中に響き渡る。高野と転入生二人を交互に見るものが多数。そして顔を引きつらせる。
 ……だってさ、高野と日下部……じゃ判らないな、隼人が亜紀を睨みつけているんだ。そう、余計なことを言うな、とばかりに。
「仲悪いのかな?」
 西野がお気楽に言う。どう見てもそうだろう……。
「舞衣と隼人がいとこ同士なんだ。私は日下部の家の養子です」
 クラスメイトの無言の好奇心に答える亜紀。
「へえええ」
 感心するクラスメイト。俺も同じ思いです。
「まあ、詳しいことは休み時間にでも聞けー。で、席はと、おーい誰か机運ぶの手伝ってくれー」
「はい!」
 HR代表が手を挙げ、廊下に出て行く。そして二つの机が後ろに並べられる。そこに座る日下部の二人。隼人は少し不機嫌そうに、でも高野を見ようともせずに着席。亜紀のほうはそ知らぬ顔で着席。高野は亜紀を見るが、その目は冷たい。……二人とも仲が悪いのか。
「しばらくはここで我慢してくれ。近いうちに席替えするから」
 その一言にクラスがまたどっと騒がしくなるが、すぐに担任が抑える。
「じゃあ、今日は――」
 連絡事項を伝え、HRが終わった。


 直後、日下部の二人に人がたかる。質問攻めだ。これは一種の転入生の儀式だろう。どっかの国でやる成人の儀のようなものだ。
 関わるつもりがないので、というか、高野の身内ならば後で関わりそうなので、今は見守っておく。
 隼人はクラスメイトのフレンドリィさに戸惑いながらも質問に答えている。ぎこちないながらも笑顔を出している。亜紀は最初から友好的空気を出して、自身のとっつきにくさを軽減させていた。おかげで男子が群れる群れる。
 高野に一言声をかけたかったが、これまたクラスメイトにたかられてそれどころじゃない。不機嫌ながらも質問には答えている。クラスの空気は壊したくないってことか? だとしたら律儀な奴だ。
 いや……俺が酷いだけか。嫌なことあったら現実逃避してぼーっと過ごす。ははは、最低だな。

 質問攻めは休み時間ごとに行われていた。高野はさっさと解放されたが、今日来た二人はそうはいかない。
 なんだか見ていて哀れになるほど質問攻めである。二人とも顔が良いもんだからひっきりなしだ。気がついたら他のクラスの連中も来てやがるし……。大変だなあ。しかしいつまで続くんだろう。

 そして昼休み。
 さて、今日はどうするんだと高野を見た。高野は暗いオーラを放ちながらゆらりと立ち上がった。近くの席の奴らは身を硬くしている……。うん、あれは怖い……。
 弁当を片手に日下部二人のもとへと歩く。高野のオーラのせいで誰も近寄れなかった。不機嫌と近寄るなオーラが上手い具合にブレンドされてあんな邪悪なオーラになっている。クラスの誰も近寄れない中――ただし笠木はまったく怯えていない。ただ見守っている――日下部二人は臆することはなかった。亜紀は何故か勝ち誇った笑顔で高野のオーラを受け止めている。隼人は無表情だ。
「言いたいこと、判るよね?
 判らないなんて言わないよね?
 判らないなんて言わせない。
 判ってなくちゃおかしい。
 判ってるでしょ?
 判ってるよね?」
 怖い。
 高野怖い。なんつうか、冷静にキレてませんか?
「――っ!」
 隼人の顔色が変わった。怖かったんだろう、青ざめてる。亜紀は……すごい、笑顔のままだ。大物かもしれない。
「場所、変えようか」
 爽やかな笑顔で高野は言うと、二人は無言で立ち上がった。
 誰も追いかけることは出来ない。教室が沈黙に支配される。
「…………」
 太一と笠木に視線を送ってみる。直感で思う、星関連の話だ。是非聞きたい。ついでにあの三人の関係も知りたい。
 俺の視線に気づいた太一は頷き、弁当を持った。笠木も俺と太一の動きに気づいたんだろう、同様に弁当を持ち、立ち上がった。
 がたん! と音を立て、笠木は一目散に教室から出て行った。俺と太一もその後を追いかける。
「報告よろしくぅ!!」
 真鍋の能天気な声に背中を押されながら。
 あいつ、高野のオーラを気にしていなかったのか。こいつもまた大物なんだろう。


「保健室だよな」
「保健室だよー」
「保健室しかありえない」
 三人の意見は一致し、階段を下りて一階保健室を目指す。
 ドアをノックし、返事を聞く前にドアを開ける。
「失礼しまーす」
 三人声をそろえて入る。
「……うわあ」
 ――保健室は冷たい空気に包まれていた。
 不機嫌をまったく隠さない高野はイスに腰掛け、足を組んでいる。その肩にはククが乗っている。ああ、こりゃ完璧に星関連だ。
 似たような表情で隼人は高野の前に立っている。
 亜紀は教室とは違い、少し困った表情をしている。ここでも笑顔でいられたら嫌だ。
 この部屋の主、三上先生は――気にせずパンを食べていた。……何も言うまい。
「この三人は?」
 隼人が高野に問いかけるが、高野は口を開かない。ククはおろおろと俺たちと高野を交互に見ている。
「舞衣」
 亜紀が呆れたように高野の名を呼ぶ。
「三上先生、今の状況を説明してください」
 笠木がずっと我関せずと昼食をとっていた三上先生に尋ねた。
「舞衣が二人を連れてきた。ずっと無言。迷惑」
 紹介もしてないらしい。そりゃ迷惑だが、その状況下で昼飯を食える三上先生がすごい。俺にはとても真似出来ない。
 しかし、話があって場所を変えたのに無言って意味がないじゃないか。話し合わなくちゃいけないは判っているが、嫌いな相手なのでやりたくない、というところか? そして中途半端に実行した結果が今の状況。
 高野、それすごい迷惑だ……。
 しかし、このままでは埒が明かないので話を進めよう。
「俺と、太一に笠木、それにそこにいるえら――いや、三上先生は事情を知っている。あんたたちは?
 高野の仕事関係の人間だとこちらは思っているが」
「待って、二人はそもそも僕たちのことを知らないよ。てことで自己紹介だ」
 太一が俺のフォローに回る。そうか、俺たちは二人を知っているが二人は知らない。休み時間があんなんでこちらの自己紹介もへったくれもないだろう。

 自己紹介と一緒にこちらが高野に関わった経緯を説明した。
「なるほど、やる気のない三上が関わっているという事実は信じがたいが、三人が言うのならそうなんだろう」
 偉そうなことを言うのは亜紀。三上先生を教師扱いしないとは……。気持ちは判るがすごい。
「一般人の関与はあまりいただけない」
 むすっとした表情で隼人は言った。
「…………」
 高野は二人を無視している。ククは困ったように手をばたばたと動かしているが、何にもなっていない。
「で、あんたらはなんなんだ?」
 こちらの情報は渡した、次はそちらが説明する番だ。
「そうだな」
 亜紀は小さく笑い、自身の長い黒髪を撫でた。
「私は日本国スター対策本部・スター回収部隊隊長、日下部亜紀。同隊員、日下部隼人。
 つまりそこで不貞腐れている舞衣の上司と同僚だ。
 舞衣の星の活発化の報告を受け、援護という形でこちらにやってきた」
 たいちょう? 亜紀が? 確かに偉そうだ。それで実際偉いだと? でもその部下の反応がすごく反抗的なんだが……。
「まあ、隊長といっても名前だけだ。やることは舞衣と変わらん」
 俺の疑問に気づいたのかは判らないが、亜紀は補足する。
「それで、どうして高野と仲悪いの?」
「…………」
 沈黙が部屋を支配した。
 太一、何でそんなストレートに聞くんだ……。
「え? だって気になるでしょ?」
 俺の呆れと驚きと諸々が混じった表情を見て察した太一は言う。
「いや、そうだけど」
 だからって、なあ?
「ふふ」
 俺たちの反応が面白かったのか知らないが、亜紀は笑った。
「お前、面白いな」
 友好的な笑顔を太一に向ける。
「見ての通り、私たちは仲が悪い、親しくないということだ。だが安心しろ。親しい奴なんかそうそういない」
 亜紀はさらりと恐ろしいことを言った。でも主語がないから誰のことか判らない。高野? それとも日下部きょうだいか? でも高野や亜紀の態度を見ていると……。
「それって」
「さあ、どういう意味だろうな?」
 笠木の言葉を亜紀は面白そうに遮った。隼人は床に視線を落とし、誰も見ようとしていない。高野は不機嫌な表情のままだ。この三人の関係ってなんなんだろう。いとこ同士ってだけならもっと砕けた雰囲気になりそうなもんだ。でもそこに職場の同僚という関係がつくとこうなるのか? そんな馬鹿な。
「では隊長として命ずる。舞衣、まずは状況報告だ」
「……はあ」
 高野は観念したようにため息をついた。そして亜紀をきっ、と睨みつけ口を開く。……上司になんて態度だ。
「メールにも書いたけど」
 前置きしてまた睨む。どんだけ嫌いなんだ。
「そちらでほぼ無害だった星が、こちらではこちらのものに取り込まれ、何故か巨大化して、回収しようとするあたしに向かって襲い掛かってきました。あと敵意を感じたら襲い掛かってきます。これは元々取り込んだものが持っていた本能だと思います。
 それと……あたしの力に反応して、暴走もしました。詳しいことはメールで伝えた通りです」
 高野は言うと肩を竦めた。
「――お前の力、ねえ」
 亜紀の含みのある言い方に高野の目が不機嫌そうに細くなる。
「まあ詳しいことは後でゆっくり話そう」
 腕を組み、うんうんと一人で頷く。
「そして今後のことなんだが」
「それこそ後ででいいでしょう」
 高野はもう話は済んだ、と弁当の蓋を開けた。ククが高野の肩から降りて嬉しそうに弁当を覗き込む。……こいつ一言もしゃべってないな。
「まあ食いながらでも出来るが……」
 亜紀は勝手にイスを引っ張り出し、座る。俺たちもそれに倣う。が、イスが足りないので仕方なしに俺と太一はベッドに腰掛けた。
「汚したら洗濯しなさい」
 三上先生はこちらも見ずに言う。……汚しませんって。
「ところで二人はどこに住んでいるの?」
 無邪気に笠木が尋ねた。お、それは気になる。いい質問だ。
「うむ」
 亜紀はどこかで買ったんだろう、パンの袋を開け神妙な顔をした。隼人も同じパンの袋を開ける。ぶすーとした表情だ。隼人を無視して亜紀は住所を言う。
「ああ、まいまいのマンションだね」
「ええ、高野ってあのお化けマンションに住んでるの!?」
「はいいいいいいいい!? なんであんたらあたしの近所に住むってのよ!?」
 笠木、太一、高野の順に声が大きくなっているのが少し面白い。
「うるさい」
 三上先生の冷静ってよりも冷たい声が静寂を強いた。鬼かなんかかこの人は。
「近所じゃない、私はお前の部屋だし、隼人はその隣りどぅわ!!」
 高野が亜紀の顎を蹴り上げていた。流れるような動きで右の拳が隼人の顔面に突き刺さる。
 あっけに取られ、誰も声を上げられない。……いや、笠木は口に物が入っているから出していないだけだ。すごく注意したそうな顔してる。
「なんでよ!?」
「ふ、家賃の節約に決まっているだろう!」
 ぶご!!
 また蹴られている。亜紀はひっくり返り、げしげしと何度も高野に蹴られていた。
「まいまい、まいまい! 落ち着いて!!」
「高野ー、落ち着いてー」
 笠木と太一が二人で押さえ込み、宥める。高野は警戒して、毛を逆立てている猫みたいにふーふーと荒い息をついている。
「あんたらの親が買ったマンションで! なんであんたが家賃を取られるのよ!?」
 新事実発覚だが、指摘は出来ない。高野に暴力は振るわれたくない。ので弁当を食うことにする。
「ふ、ただの冗談じゃないか」
「はいはい、高野落ち着いて」
 また蹴りだそうとした高野を後ろから羽交い絞めにする太一。
「ふっ」
 何故か勝ち誇ったように笑うと、亜紀は立ち上がり、制服についた埃を払った。
「簡単に理由だ、私は家事が出来ない」
 何故そんなことを自信満々に言うんだ。
「自慢だが、我々は仕事一筋でな、生活能力は皆無だ。むしろマイナスだろう」
 だから胸を張って言うことではない。
「よって、その能力のある人間に頼らざるを得ない、すなわち舞衣だ!!」
「馬鹿じゃないのあんた!?」
 太一を肘鉄一発で振り払い(可哀想だ)、高野は亜紀の腹に目掛け拳を突き出した。距離も近かったのもある、亜紀はまともにそれを食らい、身体をくの字に曲げた。小刻みに震えているあたりに痛みが伺える。
「何を言う、私は本気だ……!!」
 苦痛に顔を歪ませる亜紀。すごい、会話が噛み合っていない。
「隼人はどうなのよ!?」
 亜紀では話にならないと判断したんだろう(俺もそう思う)、今まで無視しまくっていた隼人に話を向けた。
「俺だって、こんな暴力女の世話になんかなりたくない」
 潰された鼻を押さえ、吐き捨てた。

 がごうう!!

 高野が殴るより先に、亜紀は立ち上がりながら隼人の顎に拳を突き上げた。アッパーカットという奴だろう。
「貴様、何を考えている!! ここで舞衣の機嫌を損ねたら我々の食が貧するのだぞ!?」
 もうすでに損ねているだろうとはつっこまない。判りきっているし、何より哀れだからだ。
 亜紀は隼人の胸倉を掴み上げ、揺さぶる。やっぱり可哀想だ……。
「私は、私は!!」
 力強く叫んだ。
「美味しい食べ物のためならば、いくらでもプライドを捨てられる!!」
 呆れて言葉なんて出やしない。
 だが亜紀は更に俺たちの考えの上を行っていた。
「この通りだ!!」
 土下座したよ……。
「――……」
 高野、絶句。
「……そこまでする問題か?」
 襟元を直しながら隼人は引きつりまくりながら言う。その発言に亜紀は顔をものすごい速度で上げ、また隼人の胸倉を掴み上げた。
「貴様がそれを言うか!! 毎日舞衣の手料理を食えると聞いてニヤニヤしてたくせに!!」
「!!」
 顔を真っ赤にさせ、隼人は亜紀の手を振り払った。えーと、それどういう意味かな? 答えが知りたくて太一と笠木を見る。二人とも思案顔だ。
「な、ちょ、ま!!」
 真っ赤な顔をのまま、隼人は手をばたばたとさせ抵抗のようなものをしている。そんな隼人を無視して亜紀は隼人の頭掴むとずん! と床に押し付けた。勢いあまって床にゴン! と額をぶつけている。……すごく可哀想だ。
「私たちの生活を助けてください!!」
 全員が絶句。
 本当に言葉が出ない。というか、こういう場面でどんな言葉を出せばいいんだろう?
「本当にプライドの欠片もないわね」
 きっかり十秒後、三上先生だけが冷静に食事を続けながら言った。


 昼休み、午後の授業を終え、放課後。
 現在俺は高野の部屋にいる。
 リビングでぼーっとしている。テーブルにはククがいる。高野は不機嫌を隠さず亜紀を見ている。
 亜紀は自分の生活用品をどんどん運んでいる。
 高野の部屋は一人暮らしだったのにもかかわらず2LDKだ。高野は一室しか使わなかったので、一部屋まるまる空いていた。そこに亜紀の私物がどんどん運ばれている。本当にここで暮らすようだ。
 リビングが十畳、各部屋は六畳らしい。普通だな。リビングには普通にソファとテレビ(それほど大きくない)にデスクトップのパソコン、それに食事用の足の短いテーブル。その下には座り心地の良い絨毯。これなら座布団はいらない。いたって普通のリビングだ。魔法に関するものがあるかなと思ったんだが皆無。ちょいと残念だ。
「……亜紀と暮らすのか……」
 悲壮すら感じられる声で高野は言った。
「隼人さんよりはいいッス」

 がん!!

 ククは高野の拳に潰されていた。
「はあ……」
 本日何度目か判らないため息。
「な、なあ……あいつらの、どこが嫌なんだ?」
 控えめにたずねる。思い切り睨まれる! と覚悟したが……予想通り睨まれた。蛇でも仕留められそうなくらい鋭く。
「全部」
 判りやすい答えをありがとう。
「そうか」
 でもどう返事をしろと言うんだろう。いや、求めちゃいないだろうが。
「それでも、一緒に暮らすんだからちっとは仲良くなったほうがいいと思うッス」

 ごん!!

 復活したククはまた潰された。正論は人の神経を逆撫でするという言葉の意味を深く理解した。
「……家事を仕込めばいいんじゃないのか?」
 殴られたくないので、違う方向で提案する。
「さて舞衣、私は一仕事したので喉が渇いた。茶を入れてくれ。ああ、簡単なのでいいぞ。冷たいので、氷も入れてくれ」
 ……無理だ。うな垂れる。自分でやるという気がまったく感じられない。
「冷蔵庫にジュースあるよ」
 冷たく高野は言う。
「人様の冷蔵庫を開けるなんて、そんな行儀の悪いことは出来ん」

 ご!!

 亜紀は高野に蹴り飛ばされていた。
「水を飲めばいいッス」
 潰されていたククが言った。すると高野はククに一瞬だけ優しい視線を送った。
「人様の台所をふげ!!」
 顎を蹴り上げられていた。ここまでされてなんで自分で動かないんだろう。
「一緒に住むって人間が、人様って、人様って!!」
 高野が亜紀の胸倉を掴み上げ、ぐいぐいと締め上げている。止める気はまったく起きなかった。ので、放っておこう。
「ぐあああああ!!」
 とても女子とは思えない悲鳴が亜紀の口から出ている。……学校では猫をかぶっていたらしい。それも何重にもだ。

 ぴんぽーん

 来客を知らせるチャイムが鳴った。が、
「あんたは! なんで! いつもいつも!!」
「ま、舞衣!! 上官に向かって!! ぎゃああ!! 間接は、間接はやめろ!!」
 二人とも聞いちゃいなかった。俺は困ってテーブルの上のククを見る。
「…………」
 こいつも困った顔をしている。家主(高野)に黙って客(俺)が出るわけにもいかないし……。

 ぴんぽーん

 また鳴る。
「何が上官よ!! 一番多い命令が『弁当作ってこい』なのよ!? 馬鹿じゃないの!?」
 そりゃあ馬鹿だろう。酷い上司もいたもんだ。亜紀が男だったらセクハラになりそうだ。
「ふ、理不尽な命令よりはいいだろう、痛い!!」
 いや、理不尽だろう。
「ばっかじゃないの!? いや馬鹿だよね? 馬鹿なんだよね? 馬鹿よね。馬鹿に決まってる。馬鹿じゃないなわけがない!!」
 叫び、高野は亜紀の首をぎゅうぎゅうと締め上げる。

 かたん

 控えめなドアの開く音がした。俺とククはそちらを見る。
「あの」
 居心地が悪そうに隼人がリビングの入り口に立っていた。
「荷物運び終わったんだけど……」
 高野と亜紀を見、そして俺たちを見る。その表情が語っている。『ナニコレ?』と。
「……触らぬ神に、祟りなし、だ」
 我ながら的確な表現だと思った。隼人は「ああ」と頷くと、勝手に台所に入った。がさごそと音を立てて何かを探している。少し経ち、隼人はお盆に麦茶の入ったコップを五つ乗せリビングに戻ってきた。その間、高野と亜紀はじゃれあっている(限りなく微笑ましい表現)。
「こっちのことを教えてくれ。時間は……たっぷりありそうだし」
 諦めと、何故か羨望の混じった目で隼人は言った。


 隼人に説明を終え、三人、いや二人と一匹で麦茶を啜り一息つく。
「舞衣、何度も言っているだろう! 鳩尾は人体の急所なんだぞ!? だから狙うなー!!」
「判ったわ……首を狙う」
「やめろ! そこは頭からの指令を伝える管が集中――やめろ、刃物は止めろ!!」
「大丈夫よ、研いだばっかりだから」
「意味を履き違えている!!」
 テーブルを中心に走り回っています、二人。
「そのうちバターになるんじゃないッスかね……」
 ハムスターがなんで「タイトルに差別用語が入っている!」と文句を言われた童話を知っているんだろう。あちらの世界にもあるんだろうか。なんてどうでもいい事を考えて現実逃避をする。これは俺の悪い癖だ。だが、今の状況でしない奴のほうが珍しいと思う。
「……いつもこんなんなのか?」
 明後日の方向を見ながら隼人に尋ねる。
「……いつもは口喧嘩ですんでいる」
 隼人もまた同様に明後日の方向を見て答える。こちらに来て過激になっているのか……。何でだ……。頭を抱えたくなったが、それは今の現状を見つめなくちゃいけないということなので出来ない。
 テレビの上にかけてある時計を見る。

 午後、六時三十五分

 そろそろ晩飯を作り始めてもいい時間だ。腹減ったし。
 くう〜。
 俺の考えに同意するように可愛らしい腹の音がなった。誰だ?
「てへッス♪」
 ハムスターを見て、絶望的な気分になった。こんなのを可愛いと思ったのか、俺は……。
「よし」
 ぱん! 隼人は自分の頬を叩くと気合を入れた。そして二人を見る。そう、とても高校生とは思えない喧嘩をしている二人にだ。
「わい! いふぁいふぇはふぁいは!」
「あー! 何言ってるか判りませーん!!」
 高野が亜紀の頬を思い切り掴んで引っ張っている。減らず口を黙らせてやる、ということなんだろうか。
「そろそろ、ご飯に――」
 隼人の勇気ある言動は遮られた。
「ご!」
 隼人の顔面に右ストレートが炸裂した。
「うるさい」
 殺気しかない目で高野は顔面を押さえ込む隼人を見下ろした。
「そうだ、そろそろ晩御飯の――」
 亜紀が言い終える前に高野は鳩尾に左手をめり込ませていた。もちろん、亜紀の体に、だ。
「…………」
 亜紀の身体が崩れ落ちる。日下部きょうだいは、仲良くフローリングに転がっていた。
 どうしよう。どうしろっていうんだろう。口を開けば俺もこいつらの二の舞だろう。助けを求めるようにククを見る。目が合った。同じように助けを求めていた。

 ぐう。

 ?
 誰の腹の音だ?
 床に転がっているほうから聞こえたような……。
「芳岡は、おなか減ってる?」
 殺気は消えたが、無表情に高野は言う。だから、怖いです……。
 俺は静かに頷いた。思い出した、今の俺は客なのだ。だから必要以上に脅えることはない。いくら高野だって客に暴力を振るうようなことはしないだろう、たぶん。そう、たぶん。
「カレー作るねー」
 高野は亜紀を蹴飛ばし、隼人を踏みつけ、微笑んだ。俺とククは顔を引きつらせ、微笑み返しておいた。
 補足しておこう。
 高野はつっこんだら殺される笑顔をしていた。


 八時近くなってようやく夕飯になった。
 亜紀、隼人の二人は大人しくテーブルについていた。静か過ぎて不気味だったが、たぶん、ご飯抜きと言われるのが嫌なだけだろう。高野は台所にいる。そちらからはカレーのいい匂いがする。ううん、食欲がそそられる。
「…………」
「…………」
「…………」
 そうだ、高野に言いたいことがあるんだ。
 場の雰囲気の悪さから逃げるように考えに没頭する。
 昨日、高野はこう言った。

『嫌なことあったら現実逃避して心配してくれる人も無視してボーっとしてる奴』

 俺を冷静に分析した、この言葉。
 正直ショックだが、否定できる要素がないのも事実だった。
 だから、思ったんだ。
 ――もっとちゃんと生きようって。
 前向きに。
 後ろばかり気にしないで。
 まだ、少し辛いけど。
 だから言おう、気づかせてくれて、ありがとうって。
 俺が考えにふけっていると、沈黙に耐えられなくなったのか、亜紀がリモコンでテレビをつける。が、くだらないバライティしかやっていない。何かのスポーツ中継でもやってればいいのだが今日に限って何もない。二人ともバライティには興味がないらしく、諦めたようにため息をついた。隼人がテレビを消す。
 また沈黙。
 しかし。
 どうして亜紀は俺にここの世界のことを聞かないんだろう? 隼人が聞いたからもういいということか? まさか興味ないということはないだろう。俺から聞かれるのを待っているのだろうか。
「私はちゃんと食事をしたいんだ」
 俺の視線に気づいた亜紀は静かに、だが力強く言った。……学習能力はあるようだ。
「舞衣の手料理は天下一品だからな」
 何故か小声で褒める。
「ああ、諸手を上げて褒めているにあいつはいつも怒るんだ」
 ……馬鹿にされてると思われてるんじゃないか? 指摘してもいいが……やめておこう。なんか悪いことが起きそうだ。
「はいはいー、ご飯だよー」
 お盆にカレーライスを五つ乗せて高野はやってきた。あ、ハムスターも乗っている。いつの間に移動したんだか。
「文句言う人は殺す」
 笑顔で言う言葉じゃない。滅相もございませんと言った表情で日下部きょうだいは無言を貫いた。
「いただきます」
 厳かに日下部きょうだいはスプーンを持ち、言った。
「いただきます」
 俺もそれに倣う。
「いたっき、まーッス!」
 ハムスターはカレーライスにつっこんで行った。特攻という言葉がよく似合っていた。後でこのハムスターを洗うのは高野の仕事なんだろうか。
「食べないの?」
 スプーンを持ったまま動かない俺を見て、高野は首を傾げた。おっと、これは失礼だ。
「いや、食べるよ。ごめん、考え事していた」
「そう?」
 スプーンを握りなおし、食べる。
「!」
 美味い。それも予想以上に。料理が上手なのは知っていたが……。ここまでとは。
「美味い」
 俺の言葉に高野は嬉しそうに微笑んで、頬を赤らめた。照れているようだ。ちょいと可愛い。ま、元々顔はいいんだから当たり前だ。

 がしゃん

 音源を見れば、隼人がスプーンを落としたようだった。そのままの体勢で硬直している。なんだかショックを受けているようだ。何かあったか?
「行儀が悪いぞ」
 そういう亜紀はスプーンで隼人を指している。それも行儀が悪いんだが。
「あんたが言うの? それ」
 心外だ、という表情をし、でも無言で食事を続ける亜紀。隼人の態度には特に言及はしない。食事のほうが大事だと態度が物語っていた。……そんなに食べたいのか。一心不乱にカレーを食うその姿はどう見ても俺の疑問にイエスと答えていた。判りやすい奴だ。
「で、芳岡」
 何が「で」なんだろう。
「数学なんだけど……」
「ああ、宿題あったっけ?」
 今日の授業を思い出そうと視線を天井に向けた。
「あたしだけ、ね」
 納得。亜紀は高野と俺を見るが何も言わなかった。言ったらたぶんカレーを下げられると思ったんだろう。それはきっと正しい。隼人は我に返り、震える手で食事を再開した。何がショックだったんだろう。
「んじゃ、食べ終わったらやるか?」
「うん」
 決して日下部きょうだいに見せない笑顔を俺に向ける高野。可愛いんだが……なんでだろう……、笠木が俺に笑いかけたときのような、太一の殺気に似たようなものが隼人から放たれている。……何も、してないじゃないか……。
「あ、でも片付けは」
 俺が、と思ったが、客人がでしゃばることじゃないだろう。
「二人がやってくれるって」
「!?」
 日下部きょうだいがはっと顔を上げた。亜紀の顔には「無茶振りすんな」とはっきり書かれていた。無茶なのか? 食事の後片付けが無茶なのか?
「まさか、ご飯作ってもらって何もしないなんて、言わないよね?」
 高野が日下部きょうだいに向ける笑顔はいつだって口元だけだ。
「別にね、言ってもいいの。いいよ?」
 表情が「言うな」って言ってるじゃないか……。
「言ったらね、ここから今すぐ出て行ってね。もう二度と絶対に入れない。絶対入れない。入れてたまるもんですか。入れない、入れない。締め出す。そのうち殺す」
 最後が物騒で、実行しそうで怖い。つうかそれ、今の話にあまり関係ないんじゃないか? 例によって指摘はしない。怖いから。
「ふ」
 亜紀はスプーンを置き、小さく笑った。不敵な笑みだが、額に汗が見える。
「日下部亜紀、腐っても皿洗いくらいは出来るぞ」
「そう」
 今日、夜になって初めて高野は亜紀に向けて微笑んだ。西野や真鍋、クラスメイトに見せる極普通の笑顔に亜紀はほっと胸を撫で下ろした。
「お、俺だって片付けくらいっ」
「うん、やってね」
 意気込んだ隼人を見もせず高野は言う。顔くらい見てやればいいのに……。ほら、しゅんとしてるぞ。
「じゃ、食べちゃおう」
 隼人の反応をまるっと無視して高野は明るく言う。本当に仲が悪いようだ。


 食事終了後、リビングで数学のプリントを広げ、高野はうんうんとうなりながら問題と戦っていた。俺はそれを見守る。
 片付けはちゃんと日下部きょうだいがやってくれている。時折物騒な音と隼人の悲鳴が聞こえるが、あまり気にしないでおこう。ちなみにハムスターは一人(一匹?)で洗面台に行き、身体を洗っていた。……優秀、とでも言えばいいのだろうか。
「ああ、終わった」
「ごくろーさん」
 高野は一回教えたら大体の問題は解ける。逆に言えば教えない限り解けないということだ。……こいつ試験の時はどうするんだ?
「ふう、ありがと」
 にっこり微笑む今の高野には邪気がない。
「これでしばらく宿題ないわ」
 はふう、とまた息をつく。高野のみの特別な宿題。なくなるということは基礎が出来てきたと判断されたんだろう。
「あと、今日はありがとね」
「?」
 二回目のありがとうに首を傾げる。はて?
「一緒に晩御飯食べてくれたこと」
「一応それはお礼じゃなかったか?」
 いや、殴ったお詫びか。と心の中で訂正する。
「それもあるけど……あんなのとご飯食べるなんて真っ平だから」
 あんなの、と呼ばれた二人は不吉な音を立てつつ食器を洗っている。少しの時間しか見ていないが、向こうはともかくとして、高野が向こうを嫌っているのはよぉく理解できた。
「まあな」
 否定するのもあれなので軽く頷くにとどめる。
「じゃあ、俺もありがとう」
 今は……ククもいないし、二人もこちらに気にしてないな。
「ふあ?」
 間抜けな声を上げ、首を傾げる。本当に不思議そうな顔をしている。確かにこの発言は唐突なんだが、なんだその間抜けっぷりは。
「今日の美味いカレー」
 自分でもすごい笑顔をしているのが判る。そのくらい美味かったのだ。俺の笑顔に高野はまた嬉しそうに微笑む。
「あとは……」
「あと?」
 高野は小首を傾げる。
「うーん……」
 冷静に考えたら、こういうお礼って恥ずかしくないか?

『あなたの言葉で目が覚めました、もっとちゃんと生きようと思います。だからありがとう』

「…………」
 は、恥ずかしいぞ……!?
「うん?」
 なになに? と高野は俺を見る。い、言わなくちゃだめか? いや、言おうと思っていたが……恥ずかしいなんて計算外じゃないか! それにこの話題を振るってことはあのときの状況を思い出さなくちゃけないわけで……!!

『ちょ、な! 違う、違う!!』
『だから違うって言ってるでしょ!?』
『違うの! 違う、そうじゃないってば!!』

 西野と真鍋の二人にからかわれ、高野は必死に何かを否定していた。
 そして真鍋は言ったのだ。

『舞衣ちゃんね、芳岡くんが好き――』

 冷静に考えればなんて爆弾なセリフなんだ……。思い出して顔に血が上っていくのが判る。まともに高野の顔が見れない。
 やめよう、これは双方にとってもダメージがでかい、でかすぎる……。
「どしたの、急に真っ赤になって……」
 不思議を通り越し不気味そうに俺を見る高野。その反応に多少傷つくが、ほっと胸を撫で下ろす。二人で思い出したら恥ずかしさが炸裂するカオス空間になるところだった。今はリビングに二人しかいないが、台所に人がいるのだ。自重、自重。ん? 自重? 何をだ?
「祐一さんの顔が真っ赤ッス!! これはいい熱源ッス!!」
 ハムスターの能天気な声が聞こえたと思ったら、顔面に何かが張り付いた。濡れているそれは微妙に暖かくて気持ち悪い。力任せに掴み取り、本能の赴くまま床に叩きつけた。しかし残念なことに絨毯があるのでさしたるダメージにはならない。
「ちょっと、絨毯濡れるじゃない!」
 心配するところはそこか。高野にそう言っても良かったが、投げたものを心配しているわけではないので止めておこう。
「いつも言ってるでしょ、どうして濡れたままこっちにくるの!」
 高野は濡れた物体、いやククをテーブルに置く。その姿は小さい子供を叱る母親だ。
「だってッス」
「だってじゃないの! ほら、じっとしてなさいよ。もう、ドライヤー……」
 ため息をついて高野は立ち上がった。
「世話かけまくりだな」
「でもそれこそが、愛ッス!」
 カオスな返答に言葉に詰まる。
「風呂上がったら自分で身体くらい拭けよ……」
「舞衣さんにやってもらったほうが気持ちいーッス。性的な意味で」
 死ねばいいと思う。
「はいはい、じっとして」
「ういッス」
 高野はフェイスタオルでククの身体を丁寧に拭く。そして、ぶふぉーんとドライヤーのスイッチを入れ、ククの背中を櫛で撫でる。ククは気持ちよさそうに目を細めた。
「ハムスターもこうやると気持ちいいんだな」
「もって?」
 高野が聞き返す。変なところに気づく奴だな。
「うちの犬もこうすると喜ぶってか気持ちよさそうにしてるんだ」
「犬!?」
 何故か顔を輝かせる高野。しかし手の動きは止まらない。いい奴だな。
「前行ったときはいなかったじゃない」
「室内犬だから……中で寝てたんだろう。それに臆病だから、きっと懐かないぞ」
 来客のチャイムがなるたびに玄関に駆け出し、客人を見て逃げ出す犬などうちの犬だけだろう。……情けない。
「見たい、触りたい! どんな犬?」
 俺の話を半分スルーして好奇心いっぱいに聞いてくる。ククは面白くなさそうに俺を睨みつけていた。アイドルは自分一人で充分だ、そんなとこか? どんだけ自信あるんだよ。
「小型犬でイギリスの……なんかすごい長い名前のやつ。まあ、顔は可愛いぞ」
「触りたいー」
 嬉しそうに言うな。
「あ、そうだ! 今度はみんなで芳岡のおうちで試験勉強しよう、そうしよう。よし、のんのんにメール!」
「は?」
 高野は言うや否やケータイを取り出し、メールを打ち出す。
「ちょい待て!」
 高野からケータイを奪おうと手を伸ばす。しかしあっさり避けられる。そりゃ相手は星の化け物と戦う戦士だ、俺がどうこうできるはずがない。しかしだ。
 うちで試験勉強をやるとなるとだ。当然ながら母親がしゃしゃり出てくる(うちの母親は妙にフレンドリィなんだ)。女子なら尚更だ。晩飯の時に「あの子が可愛い」だの「どこ子が好みなの?」とか聞いてくる。まあ、それだけなら普通の会話(か?)かも知れない。問題はそれをテンション高く言われ、口を挟ませないところと、父親とノリノリで話すことだ。はっきり言ってすごい疲れるのだ。それは避けたい。
「やーだー」
 子供みたいに語尾を延ばして俺の攻撃(?)を器用に避ける高野。ちゃんとメールを打ちながらなんだから器用なもんだ。いやいや、感心している場合じゃない。
「舞衣さーん、ドライヤーがつけっぱッス!」
 ククが現実に返そうと必死だ。もしかしたら電気代を気にしているのかもしれないが(それはないか)。
「んー……うん。よし、送信」
 高野はククを見て、動きを止める。チャンスだ!!
「待てい!」
 送信される前に俺は高野の手首を掴んだ。すばやくケータイを奪う。
「あー! 返してよう!!」
「それは出来ん!」
 送信されていないことを確認し、クリアボタンを押して全文消去。
「ちょっとなにすんのよ!?」
「そりゃこっちのセリフだ!!」
 家主(じゃないが)に断りなく遊び(じゃないが)の会場にすんな!
「つうか返してよう!!」
 高野が俺に襲い掛かってきた! と言っても武器も何もないので微笑ましいものではある。比較対照は星の化け物だ。
 でも相手は高野で、化け物と戦う戦士で、手加減というものを知っているかどうか怪しい。
 ……やばくね?
 そう思った瞬間に、俺はタックルを食らっていた。絨毯に身を投げ出す格好だ。くそう、素早い。幸い、重いほうじゃないからそんなにダメージはない。
「もう」
 ケータイを奪い返し、俺に乗っかった状態でまたメールを打ち始める。高野さん、その、なんだ……昨日を思い出すんだが。いや、何度も言うが重くないぞ? つうか、身体が密着して気持ち良いし、高野の髪は近くで見ると綺麗だし、それにシャンプーのいい匂いがする……。

 ごん。

 とち狂いそうになった俺の思考を止めたのは鈍い音だった。
「?」
 高野と二人で音源を見た。
 絨毯の上にコップがあった。誰かが落としたんだろう。誰だ? 二人で視線を上げた。
 隼人がいた。
 右手に白い布巾を持っている。たぶんそれでコップを拭いていたんだろう。しかし、なんでだろう、あいつ、身を硬直させ、それでいて口をパクパクさせている。打ち上げられた魚のようだ。
「gxj、6;kjeiui0!!」
 何を言っているのかさっぱり判らない。ただ、怒っているのは判る。……気に障ることは何もしてない、と思うんだが。つか、さっきから何に反応してるんだ?
「日本語しゃべりなさいよ」
 冷たく高野は言い放つ。そして俺を見下ろし不思議そうな顔をする。その表情には「はて? なんで私はこの人の上に乗っかってるんだろ?」と書かれたあった。
「下りてくれ」
 隼人の視線が痛い。
「ん、でもまだメール打ってないし」
「そんな問題か!」
 つっこみを入れつつ、腹筋運動の要領で高野を乗せたまま起き上がった。驚いたのか、高野は俺にしがみついた。見た目と違ってそこそこある胸が押し付けられてオイシイ、違う、嬉しい。そうじゃない! 恥ずかしいんですが。
「ゞлЩП!?」
 人の言葉をしゃべってくれ、隼人。さっきから何を言っているのかさっぱりだ。
「ふおおおおおおおおおおおおおおおッス!!」
 格闘漫画みたいに気合を入れる声がした。音源は生乾きのハムスターだ。……なんでこう、厄介ごとが増えるんだ?
「ボクの、ボクの舞衣さんにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッス!!」
 こいつは語尾に「ッス」を付けないと死んでしまうんだろうか。冷静にどうでも良いことを考える。
「うるさいから、高野、どけてくれ」
 ククがやかましいのはこれが原因だ。なのでまだ俺にしがみついている高野を引き剥がそうと肩に手を置いた。
「いや」
「!?」
 更にしがみつかれた。否、抱きつかれた。

『舞衣ちゃんね、芳岡くんが好き――』

 真鍋の言葉が脳裏に蘇り、ものの数秒で顔が真っ赤になった。
「芳岡、あったかいんだもん」
 隼人がさらに何か言おうとして、色々な感情が混ざって結局何も言えず手足を変な風に動かしている。これが挙動不審という奴か。ククもククで絶叫を繰り返している。や、やかましい。しかしこんなに騒いでいるのになんで亜紀は見に来ないんだ? それほど皿洗いに必死なのか? と俺もまた現実逃避をする。
 が、高野の体温と、女の子特有の柔らかさが俺の理性をぶっ飛ばす。
「そ、そういうことは笠木にしなさい」
 必死に言うが、高野は不満そうに唇を尖らせる。それが違う意味に見えた。いよいよ俺もとち狂ってきたようだ。誰か助けてくれ。
「だって、今ここにのんのんはいないよ」
 正論を言うな。こんな状況で、他人の目があるところで変なこと言うな。
「それに、……勉強して、疲れた」
 眠そうに目をこするな!! 人の上に乗っかって、抱きついて可愛い仕草するな!!
「眠い」
 人の胸を枕にすんな、つうか寝んな!!
「やめろ! こんな状況で寝るな!! 少しは考えろ!! あと抱きつくな!! 気持ちい、違う恥ずかしい!!」
 俺の必死の訴えを、高野は眠そうな目で眺めている。今まであえて触れていなかったが至近距離で。
「……うん」
 頷いて、そしてそのまま俺の胸を枕にしたまま目を閉じる。
 判ってない。これっぽっちも判ってないじゃないかああああああああああああああああああ!!


 その後、俺は発狂するハムスターを蹴散らしつつ、高野を引き剥がした。高野の私室に入る勇気はなかったので、ソファに寝かす。その間高野はほけーとしていた。起きてはいたが、酷く眠そうだった。人肌求める犬猫のように何度も俺に抱きつこうとするが、何度も引き剥がした。高野が諦めたのは俺が寝かせた後、急いで五メートル離れた時だった。
 その間、隼人が俺を凄まじい目で睨みつけていた。うん、これもう嫉妬としか思えない。そして亜紀は……
「何騒いでいるんだ? 近所迷惑だろう」
 と、すべてが終わってから酷く真っ当なことを言いながら台所から出てきた。殴ってやりたかった。
 尋常じゃない疲れを背負い、俺は三人と一匹に挨拶して部屋を後にした。

 俺は確か、お礼かお詫びかなんかで着たはずなんだが……、この脱力感はなんなんだろう。
 夜空の下で、少しばかり悲しい思いをしながらとぼとぼと家路に着いた。



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