初めまして、ぼくの名前は鳴海翔太。中学二年生です。誕生日は二月十四日なので、プレゼントはいつもチョコレート関係です。甘いものは結構好きなので特に困ることはありません。
 ぼくは一年生の二学期が終わるまで陸上部にいました。冬休みを終えた三学期からは生徒会のお手伝いを始めました。
 理由は、生徒会長の西野弥生先輩と仲良くなったからです。
 これからぼくとやよ先輩――ああ、弥生先輩のあだ名です。やよ先輩は何故か本名ではなく、『やよ』と呼ばれています。友達には『やよちゃん』後輩には『やよ先輩』という風に。でも幼馴染の二人は『弥生』と本名を呼び捨てです。不思議です。でもあだ名ってそういうものだと思います。
 やよ先輩は、先輩と言うくらいだから年上です。いっこ上です。今は中学三年生です。
 話がそれました。
 えっと……これからぼくとやよ先輩のことを話そうと思います。




翔くんとやよ先輩 
〜その一〜




 ぼくがやよ先輩と初めて話をしたのは、夏休みが終わって一週間くらいした部活中。グラウンドのトラックを千メートル分を走りきった直後でした。もう少し走りたかったのですが、千メートルと決まっていたので仕方がないことでした。長距離走が好きなぼくには不満です。
 その日はいい天気で、女子が「日に焼ける」とぷんぷんしていました。日焼け止めを忘れたそうです。でもその子はもともと色黒で、日に焼けてもそんなに変わらないと思いました。
「すごいねえ、少年。同じところを延々と走ってるなんてよっぽど好きじゃないと出来ないよー」
 ぼくにそう声をかけてきたのがやよ先輩でした。最初話しかけられたのが判らなくて、後ろを見ましたが誰もいなかったのでぼくになんだ、とのんびりと思いました。親や友達には「翔太はぼんやりし過ぎ」とよく褒められます。
「はい、ぼく走るのが好きなんです」
 のんびりとしたぼくの反応にやよ先輩は気にせず、人懐っこく笑ってくれました。
「へー」
 注意されないことをいいことに、ぼくは聞かれてもいないことを口にしていました。
「歩くのも好きです」
「じゃあ散歩も好きなの?」
「はい」
 なんとなく嬉しくなって笑顔でうなずきました。
「おじいちゃんみたいだね」
「はい、よく言われます」
 本当によく言われることなので腹も立ちませんでした。
 二人でほけーと笑い合い、あることに気がつきました。
「ところであなたは誰ですか?」
 やよ先輩は首を傾げ、不思議そうにぼくを見た後、ぽんと手を叩きました。
「初めまして、次の生徒会長をつけねらう西野弥生と申します」
 そう言って頭を下げたやよ先輩に対してぼくは丁寧な人だと思いました。
「初めまして、鳴海翔太です。陸上部の一年です」
「陸上部なんだー」
 グラウンドのトラックを運動着を着て走るのは別に陸上部だけじゃないので変な発言だとは思いませんでした。基礎体力をつけるためにバドミントン部やテニス部の人たちが走っているのを見たことがあったからです。でも、一人で走っているのは陸上部だけです。
「西野先輩は部活に入っているんですか?」
「ううん、帰宅部。暇だし面白そうだから生徒会長やろうと思ったの」
 生徒会なんて良く判らないものをやる動機なんてそんなものだと思いました。
「ほいじゃあ、私もう行くね。生徒会の選挙のときは、この西野弥生に清き一票を!」
 本物の選挙立候補みたいなことを行って、やよ先輩は笑顔でぼくに手を振って去っていきました。もちろん、他の陸上部の部員にも挨拶を忘れません。
 選挙活動は大変なんだなと思いました。


 程なくして、やよ先輩は生徒会長になりました。対抗馬がいなかったのでほとんど自動的です。けど、形式的にでも選挙はしなくちゃいけないらしく、投票は行われました。簡単に説明すると、各役職の欄にマルとバツを書く形式です。マルが信認で、バツが不信任です。バツが多い場合は新たに候補者を出して選挙のやり直しになるそうです。けど、みんな面倒なのか、マルにしたそうです。ぼくもマルにしました。
 もちろん、投票するのは生徒会長だけでなく、生徒会副会長、書記……あと会計も一緒です。他にも何かあった気がしますが、よく覚えていません。
 めでたく生徒会長になったやよ先輩は嬉しそうに挨拶回りした部活に報告に回ってました。だからぼくもそのときのやよ先輩とお話が出来ました。
「いやあ、対抗馬なんて絶対出ないと思ったけど、本当に出なかったよー。びっくりだね」
 ぼくの隣で聞いていた陸上部の先輩が、お前は一体何を言っているんだ、みたいな顔をしていたのを覚えています。
「みんな興味がないんですよ」
「だよねえ。けど内申点は付くんじゃない?」
 内申点というのは……高校受験の推薦の時に役に立つんじゃないかなーというポイントみたいなものです。実際は知りません。
「西野先輩は推薦で高校に行くんですか?」
 ぼくの質問にやよ先輩はまったく関係ないことを言いました。
「私のことは苗字じゃなくて名前で呼んでね。気さくにやよ先輩とかやよ会長と呼んでくれたまえ」
 胸を張って、ふふんと笑うやよ先輩が少し素敵でした。
「はい、やよ先輩」
 陸上部の先輩が「お前対応早いぞ」と呆れ気味に言いました。臨機応変に向いているんです。ちょっと良く判りません。
「推薦は判んないけど、高校は行くよ。少年は行かないの?」
 少年、というのはぼくのことです。陸上部の先輩じゃありません。なぜなら陸上部の先輩はやよ先輩と同学年だからです。
「行きますよ」
「ほら」
 何が「ほら」なのか判りません。もしかしたら法螺なのかもしれません。
「やよ先輩、ぼくの名前は鳴海翔太です」
「うん、知ってるよ。人の名前を覚えるのは結構得意だよ。顔と一致しないけど」
 あまり意味のない特技だと思いました。
「少年じゃありません」
「けど、君が犯罪犯したらA少年になるよ」
「少年Aだと思います」
「そうか、それもそうだね」
 陸上部の先輩が頭を抱えてうずくまりました。
「あれれ? 日射病? 今日もいい天気だもんね」
「先輩、具合でも悪いんですか?」
 ぼくたちの心配をよそに先輩は力なく立ち上がると、ものすごく疲れた顔をして去っていきました。三千メートル走ってもあんな顔にはなりません。何があったのでしょうか。いまだに謎です。
「どうしたのかな?」
「どうしたんでしょう?」
 ぼくたちは顔を見合わせ、首を傾げました。
「それじゃ、そろそろ部活の邪魔になるから帰るね」
「はい、お勤めご苦労様です」
 ぼくの言葉にやよ先輩は照れたように微笑みました。
「これからだよぉ〜」
「はい、がんばってください」
「うん」
 嬉しそうに微笑むやよ先輩。すごく嬉しそうに笑うものだから、ぼくまで嬉しくなりました。
「じゃあ、翔くんもがんばってね」
 このとき初めてやよ先輩はぼくを「翔くん」と呼んでくれました。とても嬉しかったです。
「はい」
 嬉しくて笑顔でうなずきました。
「ばいばい、翔くん」
 ぼくの笑顔に負けないくらい、嬉しそうにやよ先輩は笑って、そして手を振って去っていきました。
 やよ先輩は笑顔が似合う素敵な人だ、と思いました。



 やよ先輩が生徒会長になってから一ヶ月経った頃、ぼくは陸上部の顧問の先生に怒られていました。
 怒られる理由は簡単でした。
 ぼくの短距離に対するやる気のなさでした。それはぼくも自覚していたので、怒られることに文句はありませんでした。しかし、どうしても短距離は好きになれなくて、手を抜く、とは違いますが、長距離と違って気合が入りません。
「鳴海、お前が長距離が好きなのは判るが、それが短距離に気合を入れない理由にはならないぞ」
「はあ……」
 ガタイがよくて色黒の顧問の先生の言うことは判ります。けど、好きなものとそうじゃないものを比べたら好きなものに気合が入るのは仕方がないことだと思います。ぼくの場合その差がとても判りやすいのでしょう。
「確かにお前は長距離のほうが向いているかもしれないが、お前はまだ若い。可能性があるんだ。一つに集中して他の可能性を見逃すなんてもったいないぞ」
 先生の言っていることはもっともです。けど、ぼくは長距離、または中距離が好きで、短距離は好きじゃありません。
 ぼくは先生との会話を適当に切り上げて、一人短距離のトラックへと向かいました。こうすればしばらく先生に絡まれることはありません。
「…………」
 口を尖らせぼくは空をにらみつけました。
 陸上部は好きです。トラックを何週も走ることが出来るから。けど、先生や部長の言うことを聞いて短距離やハードルをやるのは好きじゃありません。陸上部の部員は結構好きです。タイムを計ってくれる先輩にはいつも感謝しています。
 けど、ぼくは……自由に走りたいです。
「じゃあ鳴海、百のタイム計ろうか」
 いつのまにかそばに来ていた先輩がストップウォッチを見せながら言いました。
「はい、お願いします」
 ぼくは短距離トラックのスタートラインに着くと、表情を改めました。
「位置について、よーい、スタート!!」
 この日から、ぼくは部活に出ると少しだけイライラするようになりました。


 イライラする部活になってから二週間くらい経った頃、やよ先輩とお話する機会が出来ました。
 部活中、ぼくは水を飲みにグラウンドに一番近い水のみ場にいて、やよ先輩はたまたまその辺りを歩いていました。
「翔くーん!」
 水を飲むぼくにやよ先輩は大きな声を上げて、手をぶんぶんと振っていました。水を飲み終えたぼくは顔を上げ、口元をぬぐいながら手を振り返しました。
「休憩中?」
「……はい」
 ふーと息をついてから返事。
「やよ先輩はどうしたんですか?」
「んーとね、生徒会の仕事は終わって暇だから、色んな部活を見てなんかないかなーって」
「診察ですか」
「視察じゃないかな」
「ああ、似てますよね」
「うんうん」
 通りがかった生徒の身体が傾きました。エアひざかっくんという奴でしょう。
「陸上部はなんか困ったことはある?」
 やよ先輩の言葉にぼくは腕を組み、首を傾げました。
「もっとグラウンドを使いたいって先輩が言ってました」
「それは野球とサッカーと平等に交代で使ってるからだめだよ。走るだけなら近所でやればいいじゃん」
 もっともな返事にぼくは何度もうなずきました。
「個人的なことですが、短距離やりたくないです」
「へ? 何で?」
 今度はやよ先輩が首を傾げました。
「短距離の風景はばーって流れすぐに消えてつまらないんです。中距離はそんなことないです。長距離は長く楽しめるので好きです」
「ふーん、全然判らない世界だよ」
「よく言われます」
 やよ先輩は逆の方向に首を傾げます。
「じゃあ短距離やらなきゃいんじゃないの?」
「ぼくもそうしたいんですけど、部活の方針には逆らえません」
 逆らったことはないけど、逆らっていいものでもないと思います。
 ぼくの返事にやよ先輩はきょとんとした顔をしました。
「じゃあ部活辞めたらいいじゃん」
 その言葉にぼくは口をぽかんと開けて間抜けな顔をしてしまいました。十秒くらいそうして、ぽんと手を叩きました。
「それもそうですね」
「でしょー」
 その答えはぼくの中で燻っていたイライラを一掃するには充分な力を持っていました。
「走るだけなら他の場所でも出来ますもんね」
「うん、近所でよくジャージ姿のおじいちゃんがジョギングしてるよ。趣味ならそんなんでいいじゃん」
「そうですね」
 動きやすい格好で近所を気ままに走る自分を想像しました。それはとても幸せなことでした。
「はい、じゃあぼく部活辞めます」
「うん」
 やよ先輩は明るく軽くうなずいて、ぼくの決定を祝福してくれました。



 ぼくはすぐに顧問の先生に「部活を辞めたい」と言いました。とても驚かれ、近くにいた部長と一緒に引き止められました。入部したときには歓迎してくれたのに、退部するのにどうして引き止められるのでしょうか? 判りません。
 退部の理由は「短距離をやりたくないから」と正直に言いました。けど先生も部長も判ってくれません。二人で一生懸命色んな言葉を使ってぼくを引きとめようとしてくれました。求められるというのは嬉しいです。でもぼくは辞めると決めていました。
 ぼくも一生懸命話しましたが、結局平行線のまま終わり、その日は解散となりました。
 あんなに引き止めを食らうとは予想外でした。いきなりだったからでしょうか。でもぼくはあんなに引き止められるほどいい選手ではありません。短距離は部で一番遅いし、好きな中・長距離だってそんなに早くないです。部にとってそんなに重要でもなんでもないと思うのです。不思議です。
 この不可解さを伝えたくて、ぼくはやよ先輩を探しました。考えたら名前と学年は知っていましたが、クラスは知りませんでした。選挙のときにクラスも言っていた気もしましたが、記憶にありません。
 ぼくは昼休みに二先生の教室がある三階を歩きました。うちの学校は四階建てで、四階が一年生、三階が二年生、二階が三年生となっています。理科室や音楽室などの特殊教室は色んな階に飛び散っています。
 やよ先輩を求めて各教室を覗きますが、昼休みなのであまり人がいません。空っぽの教室もありました。きっと次の授業が移動教室なのでしょう。
 四クラス全部見て回りましたが、やよ先輩は見つけられませんでした。がっかりです。
「誰か探しているのか?」
 肩を落としていると、後ろから声をかけられました。びっくりして振り返ると、とても大きな男の人がいました。このクラスの生徒でしょう。
「はい、やよ先輩を探しています」
「弥生?」
「確か本名はそんな名前だったと思います」
「うん、西野弥生だ。弥生なら生徒会室にいるぞ」
 背の高い男子生徒はあっさりとやよ先輩の居場所を教えてくれました。やよ先輩のお知り合いの方のようです。
「ご丁寧にありがとうございます」
「いえいえ」
 頭を下げるぼくに彼も頭を下げます。
「では失礼します」
「じゃあ」
 男子生徒にまた頭を下げてぼくは歩き始めました。

 生徒会室の場所は知りませんでしたが、適当に歩いていたら見つかりました。三階の階段のすぐそばでした。
 軽くノックをしました。
「はーい、どーぞ!」
 聞き覚えのある声に頬が緩みました。
「失礼します」
「うわあ、翔くんだ!!」
 入ってきたぼくを見て、やよ先輩は驚きつつ喜んでくれました。
「ここで会うのは初めてだね! ようこそ生徒会室へ!!」
 全力での歓迎にぼくは嬉しくてニコニコと笑いました。室内を見回すとやよ先輩の他に生徒が二人いました。男女一人ずつです。たぶん役員の人でしょう。
 やよ先輩が二人を紹介してくれました。男子が生徒会副会長で女子が生活委員長だそうです。ぼくも二人に自己紹介しました。
「翔くんわざわざ生徒会室まで来てどうしたの?」
「ああ、聞いてください」
 ぼくは本来の目的を思い出し、昨日の部での出来事を話しました。
「それはちゃんと退部届けを書かないからだよ」
 やよ先輩の言葉にイスに座っていた副会長が勢いよく机に突っ伏しました。生活委員長は顔を引きつらせていました。
「ああ、そうですね。忘れてました。担任に言えばいいのでしょうか?」
「そうだと思うよ」
「判りました。あとで貰いに行きます。そうですよね、ちゃんと手続きを踏まないとだめですよね」
 心底感心したぼくはやよ先輩を尊敬のまなざしで見つめました。やよ先輩もまんざらでもないらしく嬉しそうです。
「うんうん、いきなり辞めたいって言われてもそら困るよ」
「ですよねー」
 起き上がった副会長と生活委員長が何か言いたそうな顔をしています。現に口を開けかけては閉じ、の繰り返しです。しかし二人はふうと息を吐き、諦めたように肩を落とすと疲れたように視線を合わせ、小さく笑いました。
 呆れられている、ようにも見えますがぼく、何かしたでしょうか?
 やよ先輩を見るとぼくや副会長たちの反応に気づかず、携帯電話をいじっていました。
 マイペースな人なんだと思いました。



 その翌日、ぼくは担任の先生から退部届けを貰い、必要事項を書いて顧問の先生に提出しました。しかし、受け取ってもらえませんでした。顧問は部長と副部長を呼び、三人がかりでぼくを部に残るように説得しました。顧問と部長は熱心でしたが、副部長は二人に比べて一歩引いた感じでした。
 ぼくの心は退部と決まっているので、説得に応じるつもりはまったくありませんでした。だからずっと平行線です。
 ぼく一人にばっかり構ってもいられないので、三人は部活に戻りました。ぼくはもう出るつもりはありません。なので家に帰ろうと思いました。
 でもこのまま帰ってもつまらないので、やよ先輩に報告しようと思いました。もしかしたら仕事中かもしれません。そうだったら素直に帰ろうと思いました。

 生徒会室のドアをノックして、返事がしたから開けました。
 中を覗けば十人くらい生徒がいました。みんな揃ってイスにつき、真剣な顔をしていました。急にきたぼくに驚いています。これは完璧に仕事中です。
「翔くん? どうしたの? あ、それじゃあ今日は解散ね」
 やよ先輩の言葉に室内の空気が緩みました。ちょうどお仕事終了だったみたいです。ぼくはちょっと躊躇ってから室内に入りました。ここまで人がいると部外者感が強くて戸惑います。
「いきなりすみません」
「いいよいいよ、私に会い来てくれたんでしょ? 嬉しいよー。あ、ばいばい!」
 ぼくににはっと笑いかけたあと、帰ろうとする役員に手を振るやよ先輩。役員も笑顔で手を振って去っていきます。何人かはその場に残り、駄弁り始めました。陸上部も終わったらこんな感じです。すぐ帰る人と残って駄弁って、先生に見つかって「さっさと帰れ」って怒られる人と。ぼくはもちろんすぐ帰る人でした。
「どしたの? 部活辞めれた?」
 やよ先輩の言葉にぼくは少しだけ肩を落としました。それで判ったのでしょう。やよ先輩は何も言わずぼくの肩を叩き、イスを勧めてくれました。
「一生懸命引き止められます」
「モテモテだね」
 そう言われるとなんだかちょっと恥ずかしくて少しだけうつむいてしまいます。
「それでもぼくは自由に走りたいんです」
 顔を上げてやよ先輩の顔を見ました。それがぼくの中の唯一譲れないことでした。それをやよ先輩にはどうしても判ってもらいたいと思いました。だからぼくは力を込めて言いました。
 するとやよ先輩は微笑みました。
「じゃあ走ったらいいと思うよ!!」
 力強くやよ先輩は言うと立ち上がり、ぼくの手をとりました。ぽかーんとつかまれた手とやよ先輩の顔を交互に見つめました。
「翔くん行こう!」
「は、はい!」
 良く判らないけど、ぼくはやよ先輩に引っ張られ、生徒会室から出ることになりました。


 連れて行かれたのは四階にある理科室でした。
 やよ先輩はノックもせずに入りました。中にいた生徒に笑顔で歓迎されます。驚きつつ、ぼくは頭を下げ自己紹介しました。ここは科学部だそうです。部活動はそんな科学なことはしていないらしく、大体砂糖水をアルコールランプの火にかけて鼈甲飴を作っているそうです。たくさん作ってしまうのでたまに遊びに来るやよ先輩は残飯処理班として歓迎されているそうです。ぼくも同じ理由で歓迎されました。
 飴の形はさまざまで、やる気のない人はただの円形。もっとやる気のない人はアルミホイルで適当に作った形そのままでした。凝っている人は家からクッキーの型抜きを持ってきていて、ハートや星などとさまざまです。もっと凝っている人は型抜きを使ってさらに短い棒がついています。食べやすいです。
 やよ先輩は科学部の部員と軽く話してから科学室を出ました。
「作る量を控えればいいんじゃないでしょうか?」
「間違って砂糖を大量に買っちゃったらしいよ」
「ああ、それじゃあ鼈甲飴にするしかないですね」
「だよねえ」
 二人で棒つき鼈甲飴をなめながら、今度は音楽室に向かいます。音楽室は理科室の近くだからです。
 またノックもしないで入りました。もっとも、吹奏楽部が練習している音楽室なんてノックしたって気づかれません。
 やよ先輩は科学部から貰った鼈甲飴を配ります。ぼくも大量に持っていたので近くにいた生徒にあげました。その生徒がクラスメイトでお互いに驚きました。
 科学部と同じように軽く話をして、音楽室を後にしました。


 次に美術室に行って同じように美術部の部員と軽く話をしました。次に図書室に行って図書委員とまた軽く話して、次は放送委員会に行って。こんな風にぼくは結局やよ先輩と校内の部活すべて見回ることになりました。
 生徒会室に戻ってきた頃には空がオレンジなっていました。夕日が眩しいです。
「いつも部活めぐりしてるんですか?」
「会議が終わって暇になったらやってるよ」
 帰りの支度の手を止めてやよ先輩はぼく見て微笑みました。ぼくは微笑み返します。
「今日は文化系を見たから、明日は体育会系だね」
「ふうん」
「弥生、行くなら行くって言って」
 冷たい声が、ぼくとやよ先輩の会話を無遠慮に断ち切りました。
「うん? 言わなかったっけ?」
「言ったら関係ない私がこんなとこで時間潰してない」
 やよ先輩と話す女子生徒は冷たい声と目で不満をぶちまけます。それにしてはやたらと落ち着いています。
「ごめん。今度は鍵を置いていくよ」
「私に言ってどうするの?」
 その女子生徒はつまらなさそうに鼻を鳴らしました。


 生徒会室の鍵をかけ、ぼくとやよ先輩は出ました。
 先ほどの女子生徒はやよ先輩の幼馴染だそうです。生徒会には無関係です。ついでに教えてもらいましたが、以前、昼休みにやよ先輩を求めさ迷っているところを助けてくれた方もやよ先輩の幼馴染だそうです。
「どうしてぼくを連れて部活めぐりしたんですか?」
 今になってようやく不思議に思い、理由を聞きました。
「本当は一緒にそこらを走ろうと思ったんだけど、私は翔くんみたいに長距離走るの趣味じゃないし、疲れるの嫌だし、汗臭くなるのはもっと嫌だから、じゃあこのままいつも通り遊びに行っちゃえとなりました」
「なるほど、納得です」
 ただ、それにしちゃまっすぐに科学室に行った気がしますが、たぶん気のせいでしょう。
「明日も行くんですか?」
「暇になったらね」
「一緒に行ってもいいですか?」
 深く考えずにぼくはやよ先輩にこう言っていました。
「うん、いいよ」
 やよ先輩も特に考えることなく軽く返事をくれました。

 明日、ぼくは部活に行かずにやよ先輩と部活めぐりをすることにしました。



 やよ先輩との部活めぐりが楽しみでぼくはずっとにこにこしていたそうです。昨日会った吹奏楽部のクラスメイトに「何かいいことあったの?」と聞かれてびっくりしました。どうやらぼくは顔に出るタイプみたいです。
 放課後になってぼくは生徒会室に向かいました。その途中でやよ先輩に会いました。でもやよ先輩はこれから生徒会の会議だそうです。部外者であるぼくは参加できません。しょんぼりしているとやよ先輩は軽く言いました。
「今日は掲示物の説明だからすぐに終わるよ」
 ぼくは廊下で待つことにしました。
 本当にその会議は短く、五分もありませんでした。すぐにやよ先輩が出てきました。片手に丸めたポスターを数枚持っていました。
「これをね、張りに回るんだ、一緒に行こう」
 ぼくはうなずきました。
「カバンは生徒会室に置いていいよ」
 その言葉に従い、カバンを置かせてもらいました。やよ先輩は残った生徒会役員に行ってくると告げるとぼくを見て行こうとうなずきました。
「ポスターぼくが持ちますよ」
「じゃあ半分こ」
 ぼくたちはポスターを分け持って校内を歩き始めました。

 ポスターの内容は「老人ホームのボランティア募集!」とか「いじめはよくない!」という内容で、生徒の手で作られたものではなく、学校が勝手に貰ったものでした。それを各階の掲示板に張っていきます。この作業は手間取りもしないし、そんなに時間はかかりませんでした。
「さて、じゃあ部活めぐりでもしよう」
「はい」
 画鋲の入ったケースをがちゃがちゃと振ってから、やよ先輩はポケットにしまいました。

 体育館に行ってバスケ部とバレー部とバドミントン部を見ました。三つとも試合ではなく、筋トレをしていました。腕立て伏せに腹筋運動その他もろもろ。やよ先輩は顧問の先生と話し、部員と軽く話します。ぼくもバスケ部にクラスメイトを見つけたので軽く話します。何故生徒会長と一緒に着たのかと聞かれました。ぼくの返事は「昨日約束したから」です。クラスメイトは良く判らないと言いた気に首を傾げました。
 程なくしてやよ先輩がぼくのところへ戻ってきました。
「バスケ部はゴールが古くて危険と」
 メモ帳に書いています。生徒会長はこういうことも仕事なんだ、と感動しました。
「じゃ、用務員のおじさんのところに行こうか」
 うなずいて後についていきます。
「生徒会長の仕事ってこんなこともやるんですね」
 感心したように言うとやよ先輩は笑って否定しました。
「ううん、これは顧問が用務員さんに言えばすむことだよ。たまたま私がいたから頼まれただけで、会長とか関係ないよー」
 軽く笑って言いました。
「じゃあどうしてわざわざ?」
「んーどうしてって言われると困る。なんとなく?」
 疑問系で答えられてもこちらが困ります。
「いいじゃん、私人と話すの楽しいし好きだよ」
 また明るく笑うとやよ先輩は用務員室に向かって元気よく歩き出しました。

 用務員さんにバスケ部の伝言をした後、グラウンドに出ました。
 すぐに陸上部の部員に見つかりました。ぼくが退部したいという話はすでに全員が知っているようです。理由を知らない人もいたので何人かに声をかけられました。ぼくは素直に「短距離が嫌だから」と答えました。大体の反応が「……それだけで?」でした。充分すぎる理由だと思います。
 そうこうしているうちに顧問の先生がやってきました。また引き止めです。少しうんざりしました。
 こうやって何度も引き止めてくれるのは嬉しいですが、ぼくは自由でいたいんです。だから説得には応じません。相変わらず話は平行線です。見かねたのかやよ先輩が口を挟みました。
「本人がいやだって言ってるんだから辞めさせてあげてくださいよ。無理して続けたって楽しくないですし」
 でも顧問は納得してくれません。ぼくの可能性とか、将来とかを語り引き止めます。……顧問がこんなにしつこい人とは知りませんでした。
 これ以上話をしても無駄だと思いました。それはやよ先輩も同じだったらしく、適当に話を切り上げてぼくの手を引きました。顧問に何かを言われる前に「今、翔くんに生徒会のお仕事手伝ってもらってます」と言ってここを去る理由を作ってくれました。感謝です。
「どうしてあんなに引き止めるんだろうね? うちの中学って別に生徒全員強制部活制度なんてないのに」
 十年位前には生徒全員が部活に入らなくてはならないという規則があったそうです。でも今はそんなものありません。時代の流れでしょうか。
「本当ですよ。まったく訳が判りません」
「ね?」
 ぼくらはうなずき合うと、そのまま手をつないだまま生徒会室に帰りました。
 その日はこれ以上部活めぐりをするような気分にはなれませんでした。



 次の日、ぼくはやよ先輩に会わずにさっさと家に帰りました。とても天気がよくて良いジョギング日和だと思ったからです。何より今日は教育委員会だとか何とかで午前授業だったのです。
 カバンを自室において、動きやすい服に着替えて外に出ました。
 ぼくは青空が好きです。見ているだけで気分がよくなるからです。
 ぼくは家の前で軽く柔軟体操をしてから走り始めました。

 自分のペースでのんびり走ります。場所は出来れば自然公園みたいにジョギングコースがあるところがいいです。でこぼこ道は走りにくいから嫌いです。青空は好きですが、長時間いると日に当たりすぎて暑くなります。それは嫌です。あ、帽子をかぶってくればよかったのか。うかつです。ちょっとだけ落ち込みましたが、すぐに気を取り直して走ります。
 十分くらい走っていると河川敷に着きました。ここにはジョギングコースがあるので休みの日によく走りに来ています。平日に来るのは初めてかもしれません。ぼくは少し嬉しくなってジョギングコースに向かいました。
 自動販売機でスポーツドリンクを買ってそれを飲み干します。それから少し休憩してからまた走り始めます。天気がよくて、川からの風が吹いて気持ちいいです。ぼくはこうやって自由に走っていたいです。タイムなんてどうでもいい。ぼくはぼくのペースで走っていたいです。
 幸せを実感しながら走っていると、後ろから自転車のベルが鳴る音が聞こえました。ぼくは道の端に移動しました。でもここはジョギングコースであってサイクリングコースではありません。ちょっとむっとしたので、抜かれるときに顔を見てやろうと思いました。
 自転車に乗っている人の顔を見ました。女の人でした。同い年くらいで、麦藁帽子をかぶっています。長い髪をなびかせています。その人はぼくを見ました。ぼくもその人も驚きました。
「翔くんだ!」
「やよ先輩!?」
 ぼくの三メートルくらい前で自転車が止まり、やよ先輩がびっくりして振り返ってぼくを見ました。ぼくも驚いて立ち止まってしまいました。でもすぐにやよ先輩の下へと走っていきました。
「わ、ホントに翔くんだ! 偶然だね」
「はい、やよ先輩。ここジョギングコースでサイクリングコースじゃないですよ」
「……? ここただの道じゃないの?」
 首をかしげるやよ先輩。そこにのんびりこちらへ歩いてくるおじいさんがいたので二人で道を明けました。川が近くなって風が少し強くなりました。すごく気持ちがいい。やよ先輩は自転車をとめて、芝生に腰掛けました。隣を手でぽんぽん叩いているのでぼくはその隣に腰掛けました。
「風が気持ちいいねー」
「はい」
 二人でほけーと川を眺めました。やよ先輩も午前授業だからさっさと帰ったみたいです。でもどうしてここにいるんでしょうか?
「ジョギングコースか。サイクリングコースじゃないんだ。私は近道だから通ったんだけどね」
「へー、どこに行くんですか?」
「うん、向こうにペットショップあるでしょ? そこにね、行こうと思って」
「犬か猫を買うんですか?」
「ううん、伯母さんから子犬一匹貰うんだー。それでね、いるもの見に行くの」
「買うんじゃないんですか?」
「それは親がいるときにね。下見というか、もうわくわくしちゃって」
 そういってやよ先輩は嬉しそうに微笑みます。言葉で表すと「にはには」という感じです。
「へえ、いいですね。うちは母親が犬も猫も苦手なのでペット禁止なんです」
「それはそれは」
 ご愁傷様です、と続きそうな神妙な口調でやよ先輩は言いました。
「翔くんは犬猫好きなの?」
「可愛い動物は何でも好きです。ヒヨコも好きですけど、鶏になられるとちょっと……って思いますね」
「ああ、判る、食べたくなるもんね」
「ええ、鶏の末路はそれですよね」
 川の流れを見つめ、風を受ける。横を見ればやよ先輩の長い髪が風を受けてなびいていました。いつもやよ先輩は長い髪を無造作に一本にまとめています。下ろさないのは校則違反だからです。きっと生徒会長が先頭切って校則違反するわけにいかないからでしょう。
「翔くんは本当に走るのが好きなんだね。学校の外で見ると、お、こりゃマジだぜって思ったもん」
「嘘なんかついてません」
 口を尖らせてそういうとやよ先輩はぱたぱたと手を振って立ち上がりました。
「嘘なんて思ってないよ。実際見るとやっぱそうなんだって納得したって言うか確信したって言うか」
 なんとなく言わんとすることは判ります。
「好きなんだねー」
 呆れた風にじゃなくて感心した風にやよ先輩は言って微笑みました。この人は本当によく笑う人だなと思いました。
「ほいじゃあおねいちゃんはとっとと行くよ」
「下のきょうだいがいるんですか?」
「宇宙一可愛い妹がいるよ!!」
 やよ先輩は幸せではにゃーんと緩んだ顔を見せてから、ぼくに「いぇい♪」と言ってガッツポーズをとりました。そして自転車に乗って去っていきました。去り際に大きく手を振ってくれたので、ぼくも大きく手を振り替えしました。
「ジョギングコースなのに」
 やよ先輩が走り去った道はやはりジョギングコースです。まあいいかとぼくは立ち上がり、再び走り始めました。ジョギング再開です。楽しいです。幸せです。
 五分ほど走った頃に気づきました。
 やよ先輩の私服を見たのは初めてでした。
 水色と白のストライプの半そでのTシャツに水色のキュロットスカートを穿いていました。制服姿とまた違って可愛かったです。やよ先輩は水色が好きなんでしょうか? たまたまなのかな?
 そんなことを考えながら走っていると、くらくらしてきました。汗もだらだらです。喉もからからです。足もふらふらして視界も歪んできました。
 気がついたときにはぼくは病院にいて、お医者さんとお母さんに「日射病で倒れた」と教えてもらいました。やはり帽子を被っていくべきでした。
 家に帰る車の中で、ぼくはお母さんにめちゃくちゃ怒られました。ちょっと反省です。



 陸上部を退部するためにぼくは考えました。しかしこれといった案はなく、仕方なしに担任の先生に相談してみました。昼休みだと時間が足りなさそうなので放課後に行きました。
 担任の先生はちゃんとぼくの話を聞いてくれました。そして顧問から返された退部届けを受け取って、話をしてみると言ってくれました。安心するのはまだ早いですが、ほっとしました。
 さて、どうしようかなと思っていると、前方に見覚えのある女子生徒がいました。やよ先輩でした。武士みたいに細い棒をくわえています。たぶん鼈甲飴です。
「こんにちは、やよ先輩」
「やあ翔くんこんにちは、よく会うね」
「はい」
 やよ先輩はポケットに手を入れ、鼈甲飴を取り出しました。
「あーん」
 そう言われたら口を開けるしかありません。
「あーん」
 ぼくの口の中に平べったい鼈甲飴が入れられました。口の中で転がすと、甘さがじわーっと広がっていきます。おいしいです。
「退部できるよう、担任の先生に相談したら、話をしてくれると言ってくれました」
「へえ、良かったね」
「良かったです」
 にはにはと二人で笑い合います。
「やよ先輩はこれから部活めぐりですか?」
「そうだねー、今日は野球部の顧問がいないから、バントの練習に混ぜてもらうのだ」
「楽しそうですね」
「じゃあ一緒に行こう」
 やよ先輩はぼくに向かって手を差し出しました。ぼくはその手を取ると玄関に向かって歩きました。


 野球部のいるグラウンドに到着するとやよ先輩はまず部室であるプレハブ小屋に自分のカバンを置きました。生徒会室に戻るつもりはないようです。ぼくも置かせてもらいました。
 ぼくも参加したいと言うと快く受け入れてくれました。うちの野球部は明るく楽しく、がモットーで勝敗には興味がないそうです。やよ先輩は「弱者のいい訳だ」と言っていました。でもぼくにはそのスタイルがとても心地よく感じました。
「翔くんはそのカッコでやるの?」
「はい、ジャージ持ってませんから」
「そう、私は着替えるよ」
 ぼくは慌てて部室から出て行きました。

 ジャージに着替えたやよ先輩と野球部の練習に参加しました。
 バントの練習と聞いていましたが、やよ先輩はバスターばっかりやっていました。十回くらいしましたが成功したのは一回です。ぼくは盗塁の練習をしました。タイミングを取るのが難しく、何度もアウトになってしまいました。何度もスライディングをしたので靴もズボンも泥だらけです。でも楽しいからいいです。
 練習を堪能したあと、五回までの紅白戦を観戦しました。観戦中のやよ先輩はとても口が悪かったです。
 0-0の引き分けを見届けた後、ぼくたちは帰路に着きました。
 制服の泥は大体落としましたが、家に帰ってお母さんに怒られました。洗うのはお母さんなので怒りはもっともです。
「誰が洗濯すると思ってるの!?」
「お母さんです。でも野球の練習は楽しかったです」
「なに小学生の読書感想文みたいなことを言っているの!?」
「嘘じゃないです」
「馬鹿たれ!!」
 こちらとしては被害を少なくしたつもりでしたが、それは判ってもらえませんでした。
 洗濯した制服は幸い、一晩で乾きました。



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